文=鷹橋 忍
血みどろの抗争の時代へ
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』も放映から半年が過ぎ、後半に突入する。
今や影を纏ったダークサイドの人間となった北条義時だが、後半ではどのような人生を歩むのだろうか。
まず、義時の運命を大きく変えた源頼朝が、建久10年(1199 4月に正治に改元)正月、53歳(数え年)で急死する。義時37歳のときのことである。
鎌倉殿の地位は、18歳の頼朝の嫡子・源頼家が引き継いだ(征夷大将軍となるのは、3年後の建仁2年(1202)7月)。
同年4月、有力御家人13人による、いわゆる「十三人の合議制」が発足。義時も父・北条時政とともにメンバーに選ばれた。
以後、御家人たちは壮絶な権力抗争を始め、次々と滅び去っていく。義時も陰謀と殺戮の渦に巻き込まれ、その手を血に染めていくのである。
父・時政を追放
まず、同年十月に中村獅童演じる梶原景時が66人の御家人の弾劾を受けて失脚し、翌正治2年(1200)年正月、駿河国清見関(静岡市清水区)で、一族もろとも滅ぼされている。
建仁3年(1203)9月には、佐藤二朗演じる比企能員、および比企一族が、北条時政に滅ぼされた(比企氏の乱)。
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その後、源頼家は伊豆国修善寺に幽閉され、頼家の弟・実朝(頼朝の次子)が三代将軍の座についた。時政は実朝の外祖父として権力を握り、栗原英雄演じる大江広元と並んで、政所別当に就任した。
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元久2年(1205)6月には、中川大志演じる畠山重忠が、時政と牧の方の陰謀により謀反の疑いをかけられ、義時を大将とする幕府の大軍に滅ぼされている(畠山重忠の乱)。
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同年閏7月には、時政が愛妻・牧の方とともに、実朝に代えて娘婿の平賀朝雅を将軍に擁立する陰謀を企てたが、義時と政子に阻止された。時政と牧の方は出家して伊豆に下っている。
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『吾妻鏡』では、時政が自主的に鎌倉を後にしたような印象を受けるが、呉座勇一氏は、実際には義時が、力尽くで追放・幽閉したのだろうと述べている(『頼朝と義時』)。
この「牧氏の変」と呼ばれる事件ののち、義時は時政に代わって政所別当に就任し、将軍実朝を支え、御家人筆頭として、幕政を運営する体制が敷かれた。
ついに、義時の時代が訪れたのだ。
ところが、これで終わりではなかった。
鎌倉時代の僧・無住が著した仏教説話集『雑談集』において、義時の「生涯、三度の難」とされた乱が、義時に襲いかかる。