文=鷹橋 忍
母親は八重だった?
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』も後半に入り、義時の長子である、坂口健太郎演じる北条泰時の出番も増えてきた。
のちに名執権として名を馳せる泰時であるが、彼は抗争の時代をどのように生き抜いていくのだろうか。
泰時は、平家が都落ちした寿永2年(1183)に誕生した。父・義時が21歳のときの子だ。長きにわたり苦楽をともにすることになる、瀬戸康史演じる叔父の北条時房は、8歳年上である。
泰時の母親は、『系図纂要』には「官女阿波局」と記されているが、阿波局が誰なのかはわかっていない。
ドラマの時代考証を務める坂井孝一氏は、泰時の母親は身分が低い、あるいは何か事情のある女性であった可能性を指摘し、ドラマで描かれたように新垣結衣が演じた八重が泰時の母親であったのではないかという仮説を提示している(『考証 鎌倉殿をめぐる人々』)。
三浦義村の娘との恋の行方は?
泰時は12歳で元服しているが、そのときに帽子親を務めたのが、伯父にあたる源頼朝である。
建久5年(1194)2月に、御家人たちが居並ぶ中で行われた元服の儀において、泰時は頼朝から「頼」の一を授かり、頼時と称するようになった。
頼朝の死後、建仁元年(1201)頃までに泰時と改名することになるが、その明確な時期と理由は不明である(ドラマでは源頼家の命令での改名)。
元服の儀の場で、頼朝は佐藤B作が演じた三浦義澄に対し「泰時を婿とするように」と命じ、義澄も承諾している。
この約束は建仁2年(1202)8月に実現し、義時は義澄の子の山本耕史演じる三浦義村の娘・矢部禅尼(ドラマでは福地桃子演じる「初」)と結婚した。泰時、20歳のときのことである。
ドラマでは恋愛のエピソードが描かれていたが、北条氏と比企氏の対立が深まった時期であり、二人の婚姻は、三浦氏との連携を強めるためのものであったとみられている。
『鎌倉殿の13人』源頼朝を助けた三浦一族と、義澄・義村父子の生涯
泰時と義村の娘との間には、翌建仁3年(1202)に、長男の北条時氏が誕生した。
ところが、二人は間もなく離婚。時期は不明だが、泰時は武蔵国の御家人である安保実員の娘と再婚し、建暦2年(1212)に次男の時実が誕生している。
しかし、泰時はこの二人の息子に先立たれることになる。次男・時実は16歳で家人の高橋二郎によって殺害され、長男の時氏も28歳で病死してしまうのだ。
息子二人を失った泰時は、時氏の遺児である孫の北条経時(のちの四代執権)を、後継者として育てていく。