文=鷹橋 忍

鹿島神宮 奥宮

頼朝と兄弟だった?

 大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第27回では、訴訟の取り次ぎを行う13人の宿老たちが決まった。

 市原隼人演じる八田知家(生没年不詳)も、メンバーの一人である。

 その荒々しく野性的な風貌は、登場するたび視聴者の目を釘付けにし、人気の高い知家であるが、彼の背景はドラマではあまり描かれていない。

 知家はどのような出自をもち、どのような運命を辿るのだろうか。

 知家は下野国の豪族・宇都宮氏の出身で、常陸国新治郡八田(茨城県筑西市八田)を名字の地とした。

 父親は八田宗綱といい、八田の地を拠点としつつも、武者所(上皇の身辺警護を担う部署)で活動した京武者だったという(下野新聞社編集局著『中世の名門 宇都宮氏』)。

 知家の兄弟の宇都宮朝綱(1122~1204)も、鳥羽院武者所、後白河院北面に仕えていた。知家自身も、頼朝が挙兵する以前から在京して、武者所に祗候している。

 このように、知家の一族は京都に人脈をもっていたと考えられるが、源氏とも親しかったようだ。

 八田宗綱は、頼朝の父・源義朝(1123~1160)の家人で、義朝とは深い繋がりがあったという。知家の本当の父親は、源義朝だという伝承も残る。真偽は定かでないが、もし、真実だとしたら、知家と頼朝は兄弟ということになる。

 また、知家の姉、もしくは妹の寒河尼は、源頼朝の乳母の一人に選ばれている。その影響か、頼朝が挙兵すると、知家は早い時期から馳せ参じ、頼朝に重用された。

 元暦元年(1184)8月には、平氏討伐に赴く迫田孝也が演じた源範頼に従い、嫡男の八田知重とともに、西海へ出陣した。

 文治5年(1189)7月の奥州合戦では、岡本信人演じる千葉常胤とともに、東海道大将軍として、活躍している。

 知家は常陸国守護に任じられ、のちに筑波山の南麓に位置する茨城県つくば市小田に本拠を移し、小田城を築いたと伝わる。

 知家の嫡男・知重は小田氏を名乗った。三男の知基は下野茂木郷に移り住んで茂木氏を称し、四男の家政は常陸小鶴荘(後の宍戸荘)を継承し、宍戸氏の祖となった。

 常陸守護には、小田氏および宍戸氏が鎌倉時代を通じて就任している。