八田知家ゆかりの地
●小田城
茨城県つくば市小田にあった、八田知家が築いたとされる城。その遺構は、昭和10年(1935年)に国の史跡指定となった。
鎌倉時代初期には、常陸国守護所としての機能も担ったと思われる。
南北朝時代に小田氏は南朝方となり、南朝方の重臣・北畠親房を小田城に迎えている。親房が歴史書『神皇正統記』を執筆したのは、この小田城である。
●等覚寺
茨城県土浦市大手町に建つ寺。等覚寺境内の銅鐘は、もともとは八田知家が三村山清冷院極楽寺へ、寄進したものである。
戦国末期に土浦城に移され、明治17年(1884)に、極楽寺ゆかりの等覚寺に再び移され、現在に至る。
常陸三古鐘のひとつで、国指定重要文化財となっている。
●八田知家の墓
茨城県笠間市平町にある宍戸清則家の墓地内には、二基の五輪石塔が佇んでいる。
二基のうち右側の石塔には「宍戸四郎知家の墓」と刻まれているが、宍戸四郎知家とは、八田知家を指す。