文=鷹橋 忍
流人時代の頼朝を支えた腹心
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の第25回「天が望んだ男」では、野添義弘演じる安達盛長が、落馬した源頼朝に「佐殿!」と呼びかけ、視聴者の胸を打った。
常に付き従い、時には困惑しつつも頼朝を温かく見守る盛長は、視聴者にすっかりお馴染みであるが、盛長自身の物語は、今のところドラマではあまり語られていない。
そこで今回は、安達盛長とその子孫たちを取り上げたい。
盛長は、保延元年(1135)に誕生した。頼朝より12歳、北条義時より28歳年上である。
その出自であるが、三河国宝飯郡小野田荘(愛知県豊橋市賀茂町)の小野田氏を祖とするともいわれるが、武蔵国足立郡出身とする説もあり、定かでない。大野泰広演じる足立遠元は、盛長の甥ともいわれる。
また、安達盛長の名で知られるが、鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』、『曾我物語』(曽我兄弟の仇討ちを中心に構成された軍記物語風の伝記物語)、『平家物語』の異本の一つ『源平盛衰記』などでは「藤九郎盛長」と記されている。
藤九郎とは、「藤原氏の九男」の意味だという。安達の名字は陸奥国安達荘(福島県二本松市)からきており、盛長は文治5年(1189)の奥州合戦後に、この地を手に入れたと考えられるという(細川重男『頼朝の武士団』)。
盛長の妻は、頼朝の乳母である比企尼の娘・丹後内侍だ。丹後内侍は、京都で二条天皇に仕え、和歌にも長じていたといわれる。
盛長が伊豆に配流となった頼朝に仕えたのは、妻の母である比企尼の意向を受けたからだという(『吉見系図』)。
伊豆での盛長は、頼朝と同居、あるいは、ごく近くで暮らしていたと思われる(山本みなみ『史伝 北条義時』)。盛長は、頼朝が挙兵するまでの20年間を、本当に身近で支えたのだ。