北条泰時ゆかりの地

●和賀江島

和賀江島の石碑

 現存する日本最古の築港遺跡。鎌倉市の材木座海岸の延長地域に浮かぶ。

 貞永元年(1232)、勧進聖の往阿弥陀仏が、泰時の協力を得て築造した。

 以前は、遠浅のため船の着岸や、船荷のあげおろしが困難なだけでなく、船が難破することも多かった。しかし、和賀江島が造られたことにより、巨大な唐船も着岸できるようになり、日宋貿易が活発に行われるようになったのだ。

 現在は、石のがれきが残るのみである。

 

●常楽寺

常楽寺

 鎌倉市大倉にある寺院。北条泰時が、妻の母親の供養のために建てたのがはじまりだ。

 当時は、粟船御堂(あわふねみどう)と称されていたが、泰時の没後、彼の法名(常楽院殿)から、常楽寺とつけられた。本堂裏には泰時の墳墓が佇んでいる。

 この寺には泰時の孫の五代執権・北条時頼が、泰時の追善のため造ったと伝わる銅鐘(国の重要文化財)もある。

 

●宇都(津)宮辻子幕府跡(宇津宮稲荷神社)

宇津宮稲荷神社

 泰時は北条政子の死を機に、嘉禄元年(1225)、大倉から幕府を移転した。それが宇都(津)宮辻子幕府である。

 場所は、鎌倉市小町の宇都宮稲荷神社の一帯と推測され、神社の前には幕府跡の史跡碑が置かれている。

 宇都宮稲荷神社は、もともとは頼朝の御家人で、宇都宮二荒山神社の神職であった宇都宮朝綱の邸地で、宇都宮より御霊を分霊して祀ったのがはじまりだという。