後鳥羽上皇にも称賛された蹴鞠

 頼朝が死去し、源頼家が二代目鎌倉殿となると、時房は頼家の側近の一員となった。

 時房は運動神経がよく、特に蹴鞠の技量に優れており、蹴鞠を好む頼家が開く蹴鞠の会の常連であった。

 久保田和彦氏は、時房は父・時政のスパイであった可能性も指摘している(『鎌倉将軍・執権・連署列伝』)

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 三代将軍・源実朝の時代には、元久2年(1205)6月の畠山重忠の乱(二俣川の戦い)において、横田栄司演じる和田義盛とともに、関戸(東京都多摩市)の大将軍として、中川大志演じる畠山重忠の軍勢と戦っている。時房、31歳のときのことである。

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 建保元年(1213)5月の和田義盛の乱(和田合戦)では、甥の北条泰時とともに和田義盛の軍勢と若宮大路で戦い、勝利に貢献した。

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 建保6年(1218)2月には、熊野参詣、および、実朝の後継者問題のための交渉に向かったとみられる姉の政子に随行して、上洛している。

 その際に時房は、4月に尾上松也演じる後鳥羽上皇主催の鞠会に召され、後鳥羽から「蹴鞠の道をよく心得ている」と何度も感心されたという(『吾妻鏡』建保6年5月5日条)。

尾上松也さんが演じる後鳥羽上皇の肖像画