承久の乱への後押し

 康信は、頼朝・頼家・実朝と源氏三代の将軍にに仕え、長きにわたり幕府の宿老として重きをなしてきた。

 だが、承久の乱が勃発する承久3年(1221)5月には、老衰が進み、自宅で療養していた。

 承久の乱とは、尾上松也演じる後鳥羽上皇が北条義時の追討を命じ、幕府方と朝廷方の軍勢が激突した戦いである。

 この承久の乱に際し、幕府側の評議では、軍勢を京都に出撃させるべきなのか、それとも、箱根・足柄で朝廷方の軍勢を迎撃する作戦のほうがいいのかで、意見が分れていた。

 大江広元は即時の出撃を主張し、北条政子は康信を招いて意見を求めた。

 康信は、広元と同様に出撃を提唱した。

 すると、北条義時は「二人の宿老の意見が一致したのは、神仏のご加護」と、坂口健太郎演じる息子の北条泰時に出撃を命じた。

 作戦は功をなし、幕府方が勝利を収めるのは周知の通りである。

 勝利を見届けた康信は、問注所執事の座を息子の康俊に譲り、同年8月9日に、息を引き取った。