信長の命令ではなかった

 通説では、家康は信長の命令によって、二人を処罰したとされてきた。

 通説を簡単に述べると、信康の正室で信長の娘・五徳は、信康や姑の築山殿と不仲であった。

 五徳は、信康や築山殿の不行跡を十二ヶ条にわたってしたため、父の信長に送った。

 信長が、大森南朋が演じる家康の宿老・酒井忠次に真偽を質したところ、十ヶ条まで事実と認めたため、信長は信康を切腹させるように命じた。

 そのため家康は、泣く泣く信康と築山殿を処罰したという。

 しかし最近では、二人の処断は信長の命令ではなく、家康自身の意志で決めたとみられている。

 松平信康事件の背景には、大岡弥四郎事件にみられたような徳川家における武田家との外交路線をめぐる家臣団の対立の再燃や、信康と築山殿の謀反を疑われる動きがあったともいわれる。

 この松平信康事件に関しては、信頼に値する史料がほぼ残っていないため、未だ真相は明らかになっていない。