文=鷹橋 忍 写真=フォトライブラリー
公暁が正統な鎌倉殿の後継者だった?
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』において、「鎌倉最大の悲劇」といわれる、源実朝の暗殺。
今回はこの歴史に残る大事件の実行犯である、寛一郎演じる公暁(こうぎょう)を取り上げたい。
まず、「〝こうぎょう〟ではなく、〝くぎょう〟では?」と、名前の読みに違和感を覚えた方が多いのではないだろうか。
確かに、従来は「くぎょう」と読まれてきた。
では、なぜ、ドラマでは「こうぎょう」と呼ばれているのか。その理由を述べる前に、公暁の人生を、簡単に振り返ってみよう。
公暁は、金子大地が演じた二代目鎌倉殿・源頼家の次男である。正治2年(1200)に生まれた。頼家が19歳の子である。
乳母夫は、山本耕史演じる三浦義村だ。
幼名は善哉というが、ここでは混乱を避けるため、公暁で統一したい。
母親は、源頼朝の叔父・源為朝の孫で、頼朝の遠縁で清和源氏の賀茂重長の娘・辻殿(ドラマでは北香那演じる「つつじ」)である。
頼家には、辻殿(つつじ)の他にも妻がいた。
佐藤二朗が演じた比企能員の、娘である若狭局(ドラマでは、山谷花純が演じた「せつ」)である。
血統・家格は辻殿(つつじ)のほうが明らかに上であるが、若狭局(せつ)は、頼家の長男・一幡を産んでいる。
従来この一幡が、頼家の嫡子だと考えられてた。
ところが、ドラマの時代考証を務める坂井孝一氏によれば、源頼朝が頼家の正室と定めたのは、源氏の血統である辻殿であった。
ゆえに、正室の産んだ公暁こそが、頼家の嫡子であった可能性が高いという(『源氏将軍断絶』)。
鎌倉幕府編纂の歴史書『吾妻鏡』も、辻殿を「室(正室)」、若狭局を「妾(側室)」と記している。
頼朝が生きていれば、公暁が鎌倉殿を継承し、三代将軍となっていたかもしれない。
ところが頼朝は、公暁が産まれる前年に、急死してしまう。
そのため公暁の立場は微妙なものとなり、建仁3年(1203)9月に勃発した「比企の乱」により、彼の人生は暗転する。