文=鷹橋 忍

鎌倉、若宮大路 写真=フォトライブラリー

後鳥羽院の近臣にして、三代将軍源実朝の側近

 大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第31回「諦めの悪い男」では、生田斗真演じる源仲章が、小林櫂人が演じた頼全(阿野全成の遺児)の誅殺シーンで初登場した。

 妖しい魅力がただよう容姿と、誅殺を目の当りにした瞬間の顔をしかめるリアクションは、視聴者の印象に残ったのではないだろうか。

 のちに、歴史的大事件に巻き込まれ、非業の死を遂げる源仲章であるが、いったい彼は何者で、どんな最期を迎えるのだろうか。

 源仲章は宇多源氏の出身で、生年は不明である。父親は源光遠といい、西田敏行が演じた後白河院の近臣であった。

 仲章は、尾上松也演じる後鳥羽院の近臣となったが、鎌倉幕府の在京御家人でもあった。

 正治2年(1200)頃から京と鎌倉の連絡役を務め(『吾妻鏡』)、朝廷や幕府の命を受け、先に述べた頼全の追討など、在京の御家人を采配し軍事活動を遂行していた(五味文彦『吾妻鏡の方法』)。

 そして、遅くとも、柿澤勇人演じる(幼少期は嶺岸煌桜)源実朝が三代将軍となった建仁3年(1203)の末には鎌倉に下り、実朝の侍読(主君の読書に侍して教授する職)に取立てられている。

 なぜ、仲章は鎌倉に出仕したのだろうか。

 天台座主の慈円が著した歴史書『愚管抄』には、「所縁があって関東の将軍の師となり、鎌倉に下った」とあり、具体的な理由は記されていない。

 岩田慎平氏は、父親の源光遠が伊豆守となった縁で、幕府と関係が生れたのではないかと述べている(『紫苑』第一二号 「頼家・実朝期における京下の鎌倉幕吏僚――源仲章・源光行を中心に――」。

 いずれにせよ、仲章は実朝の側近の座についた。

 当時の幕府には、諸大夫身分をもつ御家人も、京都に一定の人脈を持つ者も少なかった。

 そんななか、諸大夫身分をもち、父親の代から後白河院や後鳥羽院の近臣であった仲章は、幕府と後鳥羽院の朝廷を繋ぐ重要な存在として、出世を重ねていく。