文=鷹橋 忍 写真=フォトライブラリー(表記以外)

岡崎公園の徳川家康像

家康の妻妾たち

 大河ドラマ『どうする家康』にもすでに登場しているが、徳川家康には数多くの妻妾が存在した。

 なお、一般的には正室以外の妾を「側室」と理解していると思うが、『どうする家康』の時代考証を務める柴裕之氏によれば、戦国時代は「一夫多妻多妾」が基本で、江戸時代のように正室・側室に基づいた「一夫一妻多妾」ではなかった。

 そのため、家康の妻妾を「本妻」(2人)、「別妻」(9人)、「妾」(7人)に分類している(小川雄・柴裕之編著『図説 徳川家康と家臣団 平和の礎を築いた稀代の〝天下人〟』 柴裕之「家康とともに歩んだ妻たちの生涯」)。

 この記事も、こちらの分類に基づいて、4人の家康の妻妾をご紹介したいと思う

 まず、ドラマにも登場した北香那が演じた「お葉(西郡の局)」をみていきたい。

 

西郡の局(お葉)

 西郡の局(蓮葉院)は、家康の別妻である。生年も、いつ家康の別妻となったのかも、わかっていない。

 西郡の局は、鵜殿長忠(野間口徹が演じた上ノ郷城主の鵜殿長照の弟)の娘とされる。だが、実の娘ではなく、養女であった。鵜殿長忠が家康に属する際に、人質に出したのが西郡の局であったという(『蒲郡市史 本文編1 原始・古代 中世』)。

 西郡の局が岡崎城で産んだ督姫(良正院)は、天正11年(1583)、19歳で北条氏直に嫁ぎ、北条氏滅亡後は、文禄3年(1594)、30歳で池田輝政に再嫁している。

 西郡の局は、慶長11年(1606)5月14日、伏見城にて死去した。