小督局(お万の方 長勝院)
知立神社の神主の娘
2人目は、松井玲奈が演じたお万の方である。小督局は「妾」である。
お万の方の名が知られているが、「小督(こごう)の局」、「池鯉鮒の方」などとも称され、死後の法号を「長勝院殿」という。
小督局は、天文16年(1547)に、知立城(愛知県知立市)で生まれたとされる。天文11年(1542)生まれの家康より、5歳年下となる。
父親は諸説あるが、知立城の城主・永見淡路守貞英(吉英とも)だとみられている。貞英は格式の高い神社である知立神社の神主でもあった。
築山殿の折檻はなかった?
小督局と家康の出会いは、幼い頃から有村架純演じる築山殿(ドラマでは瀬名)に仕えていたところ、家康に見初められた(『以貴小伝』(『史料徳川夫人伝』所収)、あるいは父親の永見貞英が家康に娘を仕えせると約束し、元亀3年(1572)に浜松城の家康に引き取られた(小楠和正『結城秀康の研究』)ともいわれる。
いずれにせよ、小督局は家康の子を懐妊した。
それを知り、嫉妬に駆られた築山殿が、小督局を折檻したという逸話は有名であるが、これは虚構だとみられている。
のちの越前松平氏家の祖・結城秀康を出産
天正2年(1574)2月、小督局は浜松城の城外の遠江国敷智郡宇布見村(静岡県浜松市)で、男児を出産した。双子であったといわれる。
双子の兄が於義丸——のちの結城秀康だ。
結城秀康は、越前松平氏家の祖である。ムロツヨシ演じる秀吉の人質を経て、下総結城家の婿養子となり、のちに越前一国68万石余の大大名となった。
小督局は、この秀康が慶長12年(1607)に死去すると、落飾して長勝院と号し、元和5年(1619)年12月6日、越前北庄(福井市)にて、72歳でこの世を去った。