「絵画は自分の本分ではない」といって憚らなかったミケランジェロでしたが、ユリウス2世の命でシスティーナ礼拝堂の1000平方メートルに及ぶ天井画を4年の歳月をかけて完成させます。

文=田中久美子 取材協力=春燈社(小西眞由美)

「システィーナ礼拝堂天井画」《アダムの創造》1508-12年 フレスコ ヴァチカン、システィーナ礼拝堂

システィーナ礼拝堂天井画への挑戦

 1508年、33歳のミケランジェロは教皇ユリウス2世からヴァチカンのシスティーナ礼拝堂天井画の制作を命じられます。ラファエロらのほうが適任と主張したそうですが却下され、いやいやながらも請け負います。

 かつての工房の兄弟弟子6人が助手として参加して、制作は始まりました。彫刻家として活躍していたミケランジェロはフレスコ画制作の経験に乏しかったのですが、彫刻にとってもデッサンが基本と考えていたため、その訓練も重ねていました。また、解剖学も勉強していたことから、彫刻で表そうとした躍動感や肉体表現をここでも目指しました。

「システィーナ礼拝堂天井画」1508-12年 フレスコ 4050×1320cm ヴァチカン、システィーナ礼拝堂

 4年間、毎日毎日上を向いてひたすら描いたミケランジェロは制作中、絵の具が垂れてくることや無理な姿勢で首が痛いこと、お金を払ってもらえないことなど、あらゆることが不満だということを詩にして、知人に送ったりしています。

1510年頃、知人に宛てたソネット(十四行詩)に描かれた天井画制作中の自分の姿

 また、下でミサが行われているときは、その邪魔をしないように足場を組むようにいわれたため、天井のカーブに合わせて足場を作り、描きながら移動させて描いていったのですが、この足場自体がそれまでにない、極めて創意的な創作物だったと伝わっています。

 制作工程はどんなものだったかというと、まず完璧な下絵を書き、その日に描く予定の天井のスペースにだけ漆喰を塗ります。そこに下絵を貼り付けて穴を開け、上から炭を塗って下書きを写し、漆喰が乾かないうちに顔料を塗っていきます。

 1日に進む工程を、「1日の仕事」という意味の「ジョルナータ」といいますが、ミケランジェロが1日に描いた境目の跡が残っていて、どれだけ日数がかかっているのかがわかります。途中で弟子もお払い箱にして、毎日毎日、決めた分をひとりで律儀に描いていった努力がこれを見ると伝わります。中央の1枚は3日で描き上げるくらいのスピードだったそうです。

 ミケランジェロが手がける前の天井には青空が描かれていて、当初は十二使徒が描かれる予定でした。あえて旧約の世界に変更したことには諸説ありますが、おそらくミケランジェロだけの意思ではなく、神学者らが参加して、プログラムされたのではないかと考えられています。

 この天井画で特筆すべきは、平らな面であるにもかかわらず、柱などの建築モチーフを描いて、それらが飛び出ているような立体感があるところです。柱の所には台座のようなものが描いてあるのですが、本当に隆起したり陥没したりしているように見えます。

スパンドレルに描かれたキリストの祖先エゼキヤ

 また、両脇はスパンドレルという三角の形状の建築モチーフで完全に画面を整理していて、絵画でこのような試みが成功しているところが、ミケランジェロの凄さだと思います。凹凸があって影と光の当たる部分があるかのように見えるという、イリュージョンを実現しているのです。