卓越した場面構成と人物描写
場面を整理してみましょう。天井の中央の9つの場面が旧約聖書の世界です。礼拝堂の入り口からみて、奥から順に神がこの世を生み出していく『創世記』の場面から、ノアの方舟で有名なノアの物語までが描かれています。その両脇には旧約聖書に出てくる預言者や巫女が座っている様子が大きく描かれています。
さらに細々した旧約の場面が枠に合わせてメリハリをつけながら描かれ、関連している世界が完結するという構想は見事で、驚くべきものです。
また9場面は、神が世界をつくっている場面が3つ、アダムとエヴァという初めての人間の場面が3つ、ノアの物語が3つ、というように3場面ずつで構成されています。
最初の神が光と闇とを分離する場面では、周囲に4人の裸体の人物が座っていて、この意味は色々な解釈がされています。4人の人物描写を見ると、皆、体が捻くり返っていますが、それぞれが違うポーズをしています。
4人が覗き込む枠の中では、神が斜めに体を捻らせ、その両側を明るい色と暗い色で表現していることから、神が光と闇を分けているということが伝わります。極めて省略的な表現であるにもかかわらず、神が旋回しながら光と闇を分けているダイナミズムを感じさせます。
次の場面では画面いっぱいに両手を広げている姿と後ろ姿という、神を2回登場させることにより、太陽と月の創造を表現しています。
次の場面はまた4人の人物が枠を取り巻いていて、枠の中では極端な短縮法を用い、神が奥からパーっと前に飛び出してきそうな動作で、空気と水を分離している様子が表現されています。枠があって4人が取り巻いているもの、そうでないもの、また枠があって4人が取り巻いているもの、そうでないもの、と交互にリズムを作ることで、全体の構成の妙があります。
天井画は聖書の順ではなく、入り口に近いところから描いていきました。6人の弟子といっしょに描き始めますが、出来が不満だったため全員お払い箱にして、ひとりで描きました。ですから、ノアの場面はやけに説明的で細かい部分がありますが、だんだん大胆な構図になっていき、明らかに様式が違います。
ミケランジェロがひとりで描いた世界の創造の場面は、神の肉体とその動きだけでダイナミックに表現されているのもそのためです。
天井画には300人以上の人物が描かれています。どの肉体を見ても素晴らしく、《ラオコーン》などから学んだ、まさに古代の古典的な肉体美を表現しながら、それぞれを自由に躍動的に描いています。ひとりとして同じものがなく、それぞれの肉体で個性を表現している、まさに息をのむような天井画です。その中から、何人か取り上げてみましょう。
なんと言っても有名なのは、《アダムの創造》(1ページ参照)の場面です。神が息を吹き込んでアダムが誕生したと聖書にある場面を、人差し指と人差し指を触れようする動作にして描きました。アダムの肉体の美と動きだけでこれだけの緊張感を出せるのも、ミケランジェロの卓越した才能でしょう。
《リビアの巫女》も有名です。旧約の世界の巫女ですが、後ろの本を開くのに無理して腰を捻り、足の指先まで力がこもっています。背中や腕の筋肉もムキムキという、まさに彫刻的な描き方です。外側の建築枠組みの中に描かれている人物のひとりですが、このような形でそれぞれが違う動作をしている男女が描かれていて、中央の場面との対比、構造の複雑さを、メリハリを持って伝えてくれる作例です。
《預言者ヨナ》は30年以上後に完成する壁画《最後の審判》(3ページ参照)の上部にあります。巨大な魚の腹の中に飲み込まれた話が有名で、この人物がヨナだということを知らせるために、魚も描かれています。ヨナも美しい隆々とした肉体を捻じ曲げて表現されています。このように女と男の多様な肉体の動きと、エネルギーを感じさせる肉体が中央の場面を取り巻いているのです。
天井画はまさに、神のごときミケランジェロの最高傑作といえるでしょう。