批判を受けた奇妙な《最後の審判》

《最後の審判》1535-41年 フレスコ 1700×1330cm ヴァチカン、システィーナ礼拝堂

 1512年のシスティーナ礼拝堂の完成から20年以上経った1534年、ミケランジェロは同じ礼拝堂内の壁画の依頼を受けます。

 教皇クレメンス7世はシスティーナ礼拝堂の壁画をミケランジェロに任せることが念願でした。この時期はイタリア戦争でローマが攻撃され、破壊された「ローマの劫掠」の後の混乱の時期を経て、プロテスタントとの覇権争いなどもあり、カトリック自体が大変な時期でした。

 システィーナ礼拝堂は法王庁であり、カトリックの総本山であるヴァチカンの教皇のプライベートな礼拝堂でしたが、教皇は「最後の審判」というキリスト教の帰結のテーマで完結させようとする強い意志がありました。

 ミケランジェロは渋々これを承知し、フィレンツェからローマにやってきますが、その2日後にクレメンス7世は亡くなってしまいます。後継のパウルス3世は、宗教改革の混乱を収束させカトリック教会の体制の立て直しを図るために、1545年、キリスト教世界の最高会議トレント公会議を招集したことで知られる人物です。

 パウルス3世も壁画の続行を望み、すでに60歳を過ぎていたミケランジェロに絵を描かせました。教皇は矢継ぎ早の催促をしてミケランジェロを苦しめましたが、教皇庁の主任建築家・彫刻家・画家に任命し優遇もしました。

 与えられた壁にはペルジーノの《聖母被昇天》があり、ミケランジェロも元の絵を残すことを考えましたが、絵は消され、ふたつあった窓も埋められ、壁一面に「最後の審判」の場面を描くことになります。

 6年の制作期間を経て1541年、壁画は完成します。絵には遠近法はなく、「テリビリタ(凄まじさ)」と表現される圧倒的な迫力がありました。

「最後の審判」というテーマは昔からある伝統的なテーマで、中央に審判者であるキリストが描かれます。壁画にも中央にキリストがいるのですが、こんなマッチョのキリストは前代未聞です。キリストは蘇って審判を行うために現れると、自分が再臨したキリストであることを示すために磔にされた時にできた手の平と肉体の傷を見せます。この絵のキリストにも傷がありますが、筋肉質でなんともエネルギッシュです。

 キリスト教のシンボリックな意味に、キリストの右側が良き側、左側が悪しき側というものがあります。この絵の左側にいる人は川を渡って地獄に落とされ、右側は死んでいた人が蘇って審判を受ける、という旋回を繰り返すような、ダイナミックな構図です。キリストの周囲にいる人は聖母マリアのほか、パウロやペテロなど、聖人たちだとされています。

 裸体の競演ともいうべき本作には、ミケランジェロが関心を持った人体のプロポーションが集まり、それぞれの肉体の動きと、前を向いている人物の隣は後ろを向いている人物といったような、ポーズの対比も見られます。プロポーションもどんどん引き伸ばされたり、捻れたり、デフォルメされていたりと、彫刻で表現されたセルペンティナータ(蛇のような螺旋状)も取り入れています。次の世代を予期し、その橋渡しをする先駆者がミケランジェロであることをこの壁画はよく示しています。

 しかし、これについて賛否両論が巻き起こります。「最後の審判」の中に裸体や性器を晒している人物がいることがふしだらだという非難が集まり、儀典長ビアジオ・デ・チェナーゼは風呂屋か売春宿にふさわしい絵だと強烈な批判をしました。芸術ということで何でも受け入れられる訳ではなく、見られる場所も考えなければいけないという、現在の検閲に関わるような問題です。

 壊してしまおうという意見も出ましたが、解決策としてふんどしを描き足して、男性の性器を隠します。その画家は「ふんどし画家」と呼ばれますが、彼のおかげで今日この傑作を見ることができるのです。壁画は芸術界に大きな問題を投げかけた作品でもありました。

 描かれている人物で面白いエピソードがあります。画面右下にいる性器を蛇に噛まれている死者の国の判官ミノスは、大反対した儀典長に怒ったミケランジェロが彼をモデルにして描いたものです。

壁画を非難した儀典長の顔をした死者の国の判官ミノス

 また、ミケランジェロ自身は、聖バルトロマイが手にしている生きたまま剥がされた皮の顔を自画像として描きました。

聖バルトロマイが手にしている皮の顔がミケランジェロの自画像

 芸術の適正という大きな問題がありながら、個人的な恨み辛みの感情をこんな形で晴らしているのもミケランジェロらしいところです。

 ミケランジェロの一生の流れを見ると素晴らしい作品を残しながら、その影で一生懸命動き、苦悩している姿が浮かび上がります。とくに絵画に関しては創作の喜びもあったのかもしれませんが、ミケランジェロは嫌な思いをしてきました。もの凄く過剰なエネルギーがありながらも、いつも苦悩しています。それが世界にその名を轟かせる名作を産んだという矛盾が面白く、興味がつきない画家です。極めて人間的な神のごときミケランジェロの大傑作を、機会があればぜひ見ていただきたいと思います。

 

参考文献:『神のごときミケランジェロ』池上英洋/著(新潮社)、アート・ビギナーズ・コレクション『もっと知りたいミケランジェロ 生涯と作品』池上英洋/著(東京美術)『システィーナ礼拝堂を読む』越川倫明・松浦弘明・甲斐教行・深田麻里亜/著、『ルネサンス 天才の素顔 ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエッロ 三巨匠の生涯』池上英洋/著(美術出版)、『レオナルド・ダ・ヴィンチ 生涯と芸術のすべて』(筑摩書房) 他