【本多忠勝】度重なる転封ののちに三河へ
長男の妻は信康と五徳の娘
本多忠勝は慶長6年(1601)に、上総国大多喜(千葉県夷隅郡大多喜町)から伊勢国桑名(三重県桑名市)十万石に転封し、慶長15年(1610)、桑名城で死去した。享年63である。
『寛政重修諸家譜』によれば、忠勝には二男五女の子がいた。
長女は、真田信之(『寛政重修諸家譜』には「信幸」と記載)に嫁いだ、鳴海唯が演じた小松殿(稲)である。
次女は、奥平家昌(當真あみが演じた家康の長女・亀姫と、白洲迅が演じた奥平信昌の長男。家康の外孫にあたる)の妻に、三女は本多備中守信之(詳細不明)の妻に、四女は家臣の松下三十郞重綱の妻に、五女は家臣の蒲生瀬兵衛某の妻になったと、『寛政重修諸家譜』に記されている。
次男の本多忠朝は、父・忠勝が桑名に転封となった際に、忠勝の旧領・上総大多喜五万石を賜わったが、慶長20年(1615)5月、「大坂夏の陣」で、奮戦の末に討死した。
長男の本多忠政は、細田佳央太が演じた松平信康(家康の長男)と久保史緒里が演じた五徳(信長の娘)の娘を妻とした。
忠政は父・忠勝の死後、その遺領である桑名十万石を襲封し、元和3年(1617)年、播磨国姫路(兵庫県姫路市)に転封した。
繰り返された転封の果てに三河へ
忠政の長男・本多忠刻は、大坂夏の陣で豊臣が滅びた後に、豊臣秀頼の正妻であった、原菜乃華が演じた千姫(森崎ウィン演じる徳川秀忠とマイコ演じる江の娘 家康の孫)と結婚したが、寛永3年(1626)、31歳で没している。
本多家の家督は、忠政の二男・本多政朝が継いだ。
その後、忠勝を家祖とする本多家は、大和国郡山、陸奥国福島、播磨国姫路、越後国村上、三河国苅谷、下総国古河、石見国浜田と転封を繰り返した末に、明和6年(1769)年、十一代当主・本多忠粛が三河国岡崎に入封してからは、この地に定着し、明治維新を迎えている。
忠勝の子孫は転封の果てに、忠勝が生まれた三河国に帰ってきたのだ。