遠近法やスフマートなど、レオナルドの卓越した技能は《最後の晩餐》、《モナ・リザ》で結実します。この世界的な名画の凄さを紹介しましょう。
文=田中久美子 取材協力=春燈社(小西眞由美)
「最後の晩餐」の制約をどう解消したか
ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ修道院の壁に描かれた名画《最後の晩餐》(1495-98年)。この場面を描く際には、いくつかの制約があります。まず、食卓の上にはパンと葡萄酒が置かれ、すべての弟子が登場しなければなりません。
遠近法が確立していなかった中世は、近くのものを大きく描くのではなく、重要なものを大きく描いていたので、イエスが大きく描かれていました。中世後期の画家ジョット以降は遠近法によって食卓の上を見せつつ、弟子をその周囲にめぐらせる構図が多くなります。そのため弟子の半数が背中を見せていました。
ルネサンスの画家は横長のテーブルに横一列に座らせる方式を編み出します。しかし、イエスと一緒に手で鉢に食べ物を浸したものが裏切る、と聖書にあることから、イエスとユダは対峙して描くという伝統がありました。また、イエスは中央で正面を向いて座っていなければならず、後ろ向きや横向きの人は悪い人を表す、というような人物の表し方のヒエラルキーもありました。
この伝統的図像に基づいて描くと、ユダはイエスの前に背中を向けて座ることになります。すると、近くのものは大きく描くという遠近法のルールに従うと、同時代のフィレンツェの画家アンドレア・デル・カスターニョの絵のように、ユダがイエスよりもはるかに大きく目立つ存在になってしまいます。
レオナルドもこの伝統的図像の制約に苦しんだようです。そしてこれらを解消するために正面にイエス、イエスの左にユダを描きました。そしてイエスが取ろうとしているパンにユダが手を伸ばし、もう一方の手には裏切った報酬が入っている金貨の袋を持たせます。こうすることで、ユダとわかるようにしたのです。
さらに弟子たちもその顔や表情、身振りで誰かわかるように描き分けたばかりか、ひとりひとりの内面的な感情までも雄弁に描き出しました。
宗教画では、光輪がある人物は聖人という決まりもありました。しかし、見たものしか描かないリアリストのレオナルドは、光輪を描きませんでした。その代わりにイエスの後ろの窓の光が光輪の役割をするようにしました。
最近の研究でこの空間を立体に起こすと、体育館のような縦長の広い空間のいちばん手前にテーブルがあり、窓はかなり距離のあるいちばん奥にあることがわかりました。つまり、このリアルな空間は現実には存在しない空間ということになります。
ルネサンスの画家たちは、現実の空間を絵画に表現することを理念としていました。《最後の晩餐》は理路整然とした秩序ある空間を描いているにも関わらず、現実にはありえない空間でした。レオナルドが現実と絵画の世界を使い分けていたことは、とても興味深いと思います。