《最後の晩餐》の成功と失敗
《最後の晩餐》をレオナルドは4年の歳月をかけて完成させます。評判を生み、自身の評価も高まりました。しかし、描き上げた当初から絵の劣化が始まっていたのです。
壁画には通常「フレスコ」という技法を使います。フレスコとはフレッシュという意味で、漆喰が乾くまでのフレッシュな状態(まだぬれている新鮮な状態)のうち顔料で絵を描かなければならなかったので、遅筆のレオナルドには合いませんでした。
そこで卵と油の両方を用いるテンペラで描くことにしたのですが、修道院のあるミラノは湿気が多い土地柄で、漆喰表面にカビがわいてしまいました。また、「最後の晩餐」というテーマは食堂に描かれることが多く、この絵も修道院の食堂の壁に描かれました。壁を隔てた裏の厨房からの湿気も加わって、次第に真っ黒なカビが絵を覆い、漆喰もひび割れてボロボロになってしまったのでした。
そして1796年、ミラノにあったレオナルドの手稿をすべてフランスに持ち帰るほどレオナルドに執心していたにもかかわらず、ナポレオンはサンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ教会を接収すると、この部屋に軍馬を繋ぎます。このことで壁画はさらにダメージを受けてしまいます。
ただし第二次世界大戦中では爆撃を受けたにもかかわらず、奇跡的に絵は残ります。なんともドラマチックな運命をたどった絵なのでした。