文=藤田令伊 

竹内栖鳳《班猫》重要文化財 1924年(大正13) 絹本・彩色 山種美術館

アートの世界で有名な一匹の猫

 猫人気が不動である。ユーチューブにアクセスすると、膨大な数の猫動画が出てくるし、街を歩けば猫カフェが至るところに現れる。スーパーマーケットには猫のエサやおやつが呆れるほど並んでいるし、猫関連の市場が馬鹿にならない規模に成長していると聞く。

 あるいは、かつてライオンやチーターといった猛獣をアフリカの大地に追いかけた世界的な動物写真家が、いまはライフワークとして(?)猫を追い続け、その様子がBSのレギュラー番組として放送されたりもしている。もはや世の中猫さまさまといった風情である。

 アートの世界にも有名な一匹の猫がいる。名前は「班猫(はんびょう)」という。描いたのは、日本画家の竹内栖鳳。班猫の「班」は、猫の体のまだら模様からつけられたのだとしたら、一般的には「斑」の字を当てるのが妥当なのだが、栖鳳は「班」と書いており、「班」にもまだらの意味があるので、所蔵美術館では「班猫」とそのまま表記している。

竹内栖鳳《班猫》重要文化財 1924年(大正13) 絹本・彩色 山種美術館

 一見ごく当たり前の猫の絵に見えるかと思う。だが、仔細に見入っていくと、ただごとではない絵であることが明らかになってくる。

 独特の姿態を見せている猫である。首をぐるりと右へひねり、体は背中が見えているのに、顔がこちらを向いており、つまりは首のところでほぼ180度曲がっている。人間では考えられない柔軟さである。

 こちらを見つめる猫の瞳はエメラルド色で、これも見る者を惹き込む要素となっている。いくぶん恨めし気にも見える目つきで、そのため思わず猫の心理を詮索したくなるような気分が掻き立てられる。

 猫の首の曲がり方には一種の演出がある。猫の首がこれほど曲がるのはあることだとしても、首の長さがちょっと長すぎるのだ。本来はもう少し短いはずだが、栖鳳は首を伸ばして描き、頭の位置を実際より下方に置いているふしがある。そのことによって猫は上目遣いとなり、先述のように鑑賞者の気をよりひく効果をもたらしている。

 右前足が唐突に右斜め下へ突き出されているのも見る者の注意をひく。まるで体から足が生えているかのようで(実際そうなのだが)、いささか奇妙な印象がなくもない。体を支えているというほどには足に体重がかかっているようではなく、あえて出している感があり、それが奇妙な印象につながっている。これも破調を狙った栖鳳の工夫と見る。

 また、体毛の一本一本がごく細い筆でていねいに描かれていて、手触りまで伝わってくるほどである。これは毛描きという技法で、円山応挙もよく使ったものだ。

 さらに背景が興味深い。まったく何も描かれていないのだ。が、決して不自然な印象はない。それは相当に難しい表現である。背景に何もないことで、当然のことながら、われわれはますます猫に注目することとなる。

 と見ていくと、何気ない猫の絵に見えるのだけれど、その実、栖鳳はさまざまな工夫を凝らして本作を描いていることがわかる。おそらく、考えに考えた末に仕上げたのであろう。猫一匹にかけた想いの強さのほどがしのばれる。