落語「寿限無」を聞いた小学5年生の感想がすごかった

 寿限無というのは、「子どもが生まれてうれしくなって、その子が長生きをしますようにとの願いを込めて、お寺の和尚さんにありがたい経文を教えてもらうのですが、その思いが強すぎるがあまりに、教えてもらった長い経文をそっくりそのまま名前につけてしまう」という、ばかばかしくも愛おしい初歩的な落語です。

じゅげむ、じゅげむ、ごこうのすりきれ…(提供:tada/イメージマート)

「寿限無、寿限無、五劫(ごこう)のすり切れ、海砂利水魚(かいじゃりすいぎょ)の水行末(すいぎょうまつ)、雲来末(うんらいまつ)、風来末(ふうらいまつ)、食う寝るところに住むところ、やぶらこうじのぶらこうじ、パイポ、パイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命(ちょうきゅうめい)の長助(ちょうすけ)」

 この長い名前の子がもたらす騒動を描きますが、後半その長い名前がどんどん出てくるあたりから、小学生の子どもたちの笑い声が増幅していきました。

 一席語ったあと、「名前は生まれてはじめてもらうプレゼントです。だから、自分の名前もお友達の名前も大切にしましょう」という感じでまとめて、話を終えました。

 企画してくれた先生からは、「近頃いじめにつながるあだ名について、どう向き合ったらいいのか悩んでいたところですから、大変よかったです」と言われました。やはり落語は「失敗図鑑」だからこそ救いになるのだなあと思いました。

 そして、後日。

 その小学校の児童たちから感想文が送られてきましたが、その中にハッとするものがありました。

 5年生の女の子からでした。

「私のクラスにもし寿限無くんみたいな子が転校してきたら、もしかしたら、私は変な名前とか言ってその子をからかっていたかもしれません。落語はいじったりしないんで優しいんですね」

 なるほど! と思いました。

 この「寿限無」という落語には、「変な名前だ!」と突っ込む登場人物は一人も出てきません。「みんなで寿限無くんをきちんと受け入れている」という前提が、笑いつながっているのです。

 もしかしたら「寿限無」は、「いじったり突っ込んだり、さらにはいじめたりするよりも、ありのままを受け入れたほうが世の中おもしろいよ」と、聞く者に語りかけているのかもしれません。小5の女の子に、この落語の本質を教わったような心持ちになったものです。

 そもそも、「いじめ」と「いじり」の違いなどという、ややこしい境界線を探し求めること自体に意味がないのかもしれません。今回の一件から得られる教訓は、「一般的に当たり前と思われていること(ここでは新人は初々しいもの、とか)ではない事態が起きたときに、その状況をありのまま受けいられるか」が一番大切ということではないでしょうか。

 異質なものでもありのままを受け入れ、周囲にもたらす影響(騒動)をまずは楽しんでみる。きっと、その姿勢が、世の中をもっとおもしろくしていくのではないでしょうか。決して、異質なものをネガティブなものとして「排除」してしまいかねないレッテルを貼るのではなく・・・。

 無論、今回のフジテレビ動画の炎上騒動で、誰が悪いなどと糾弾するのが本稿の目的はありません。今回の騒動は、今後の教訓にすべきエピソードなのだと確信しています。

 そして何より、上垣アナのますますのご活躍を心よりお祈り申し上げます。

立川談慶(たてかわ・だんけい) 落語家。立川流真打ち。
1965年、長野県上田市生まれ。慶應義塾大学経済学部でマルクス経済学を専攻。卒業後、株式会社ワコールで3年間の勤務を経て、1991年に立川談志18番目の弟子として入門。前座名は「立川ワコール」。二つ目昇進を機に2000年、「立川談慶」を命名。2005年、真打ちに昇進。慶應義塾大学卒で初めての真打ちとなる。著書に『教養としての落語』(サンマーク出版)、『なぜ与太郎は頭のいい人よりうまくいくのか』(日本実業出版社)、『いつも同じお題なのに、なぜ落語家の話は面白いのか』(大和書房)、『大事なことはすべて立川談志に教わった』(ベストセラーズ)、『「めんどうくさい人」の接し方、かわし方』(PHP文庫)、小説家デビュー作となった『花は咲けども噺せども 神様がくれた高座』(PHP文芸文庫)、『落語で資本論 世知辛い資本主義社会のいなし方』など多数の“本書く派”落語家にして、ベンチプレスで100㎏を挙上する怪力。