- 石川県輪島市は豪雨被害の影響が大きく、多くの自宅が浸水するなどして地震以前の日常をいまだ取り戻せないでいる。
- 筆者は10月5〜6日に現地を訪れ、輪島市中心部の事務所で浸水被害を受けた橋浦さん(52)に話を聞いた。
- 橋浦さんは泥をかき出す作業での支援をボランティアに依頼するために、ツテをたどってNPOに直接連絡したという。二次災害におけるボランティア活動の課題とは。
(湯浅大輝:フリージャーナリスト)
地震の1カ月前に事務所を購入
橋浦さんは石川県外の出身。約20年前に、輪島市中心部から約12〜15kmほど西に位置する輪島市大沢町に嫁いできた。大沢町の自宅は、庭から日本海が見渡せる堅牢な日本家屋だった。大沢町は地震の前から限界集落で、橋浦さんのひとり娘は毎日バスで輪島市の中学校に通っていたという。
2024年1月1日、地震が直撃し平和な日常は突然、崩れ去った。大沢町は地震で孤立し、住人は自衛隊ヘリで集団避難した。橋浦さんは夫と娘を連れて自身の実家に帰省しており、義父も市街地に出かけていたことから難を逃れた。自宅も一部損壊で済んだ。だが問題は、大沢町へと続く道路もライフラインも寸断され、自宅に戻ることができないことだ。
被災後、橋浦さんは夫、娘と七尾市でアパートを借りて住むようになった。橋浦さんはフリーランスで建築関係の仕事を請け負っている。2023年12月には輪島市中心部で仕事をしやすいようにと、二勢町に空き家だった家屋を購入。事務所の開設を予定していた。その建物はコンパクトで基礎もしっかりしていたことから、元日の地震の被害は幸いなかった。
「市街地に近い場所に事務所を開くことで、大沢にいたときよりも生活圏が広がるというメリットも感じていました」(橋浦さん)。地震の被害を受けなかった二勢町の事務所は、橋浦さん一家の再出発において重要な拠点となるはずだった。