橋浦さんは石川県外の出身。約20年前に、輪島市中心部から約12〜15kmほど西に位置する輪島市大沢町に嫁いできた。大沢町の自宅は、庭から日本海が見渡せる堅牢な日本家屋だった。大沢町は地震の前から限界集落で、橋浦さんのひとり娘は毎日バスで輪島市の中学校に通っていたという。 2024年1月1日、地震が直撃し平和な日常は突然、崩れ去った。大沢町は地震で孤立し、住人は自衛隊ヘリで集団避難した。橋浦さんは夫と娘を連れて自身の実家に帰省しており、義父も市街地に出かけていたことから難を逃れた。自宅も一部損壊で済んだ。だが問題は、大沢町へと続く道路もライフラインも寸断され、自宅に戻ることができないことだ。 被
【能登二次災害】地震ボランティア活動縮小の矢先に豪雨、NPOが現場で補完
被災者に聞く輪島市の現状
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