なぜ、戦後、プロ野球はルール無用の「引き抜き合戦」を延々と続けたのか?

 これは筆者の私見ではあるが、終戦後のプロ野球の親会社の「体質」に起因する部分が大きかったのではないかと思う。

ライバルを出し抜くためには手段選ばず

 もともと職業野球は新聞社、鉄道会社などが中心となって設立されたが、戦後、さらに新たな新聞社が参入、そして当時興隆しつつあった映画会社の大映、松竹、のちに東映が参入した。

 新聞社は「社会の木鐸」を標榜しているが、部数を拡販するにあたっては、全国でルール無用の競争を繰り広げた。読者を奪うために新聞販売店を買収したり、新聞用紙をライバル紙から奪うために印刷会社に寝返らせたり、今も各地に「○○県新聞拡販戦争」という逸話が残っている。新聞記者の強引な移籍も多かった。

 また、映画会社は俳優の引き抜きが日常茶飯事であり、俳優同士の男女関係も相まって芸能雑誌をにぎわわせた。特に大映社長の永田雅一は「映画界の風雲児」と呼ばれ、様々なスキャンダルを振りまいた。永田は大映スターズのオーナーとしてプロ野球界に参入し、パシフィック・リーグの「総裁」に就任、選手獲得でも剛腕を振るった。

パ・リーグ会長も務めた永田雅一東京オリオンズ・オーナー。日頃の大言壮語ぶりから「永田ラッパ」の異名を取った(写真:共同通信社)
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 新聞、映画という物騒な業界の体質を引き継いだために、プロ野球は荒々しい引き抜き合戦を延々と続けたのではないか、と筆者はみている。

 1950年、プロ野球はセ・リーグ、パ・リーグに分立したが、引き抜き合戦があまりにも激しかったために、感情的なしこりが残り、この年は、オールスター戦が開催されなかった。