「石でも投げられるのか」と思って後援会を訪ねると……

河井:現役時代は、時間があれば広島に帰り、呼ばれもしないのにいろいろな行事に参加したり、国政報告会を開いたりしていました。災害があれば、いの一番に被災地に駆けつけ、復旧復興の様子を確かめるなど、とにかく人一倍地元に戻っていました。

 だから出所後は、本当はすぐにでも地元に帰りたかったのですが、受刑中に体重が14キロも落ちましてね。刑務所の中では運動する機会も十分に与えられませんから、極度に体力が落ちてしまって、3、4分歩くだけでも息が上がってしまう状態でした。

 そこで、しばらくは体力をつけることに専念して、今年2月、5年ぶりに初めて地元に戻りました。見慣れた故郷の姿を眺めた時には、本当に涙が出ました。

 後援会の方々を訪問すると、それこそ「石でも投げられるのか」と思ったりもしましたが、ありがたいことに、私の顔を見るなり号泣されたり、抱き付いて来られたり、両手を握って離さなかったり、本当に皆さん温かく接してくださいました。涙が止まりませんでした。

 中国新聞は、出所後に地元に帰った私が後援会の方々から冷たい対応をされたと書きましたが、一体どこの誰に話を聞いたんでしょうか。温かい対応をしていただければいただくほど、5年間も寂しい思いをさせて、心配をおかけして、申し訳なくて、心の中で泣きながら1軒ずつ歩いて回りました。

河合克行氏の地元事務所(写真:共同通信社)河井克行氏の地元事務所(写真:共同通信社)

──本書には現役の政治家時代の反省点についても書かれていました。部下に対して自分がパワハラ的な態度を取ったことがあるなど、なかなか素直に言いづらいことまでわざわざ赤裸々に書かれていたのが印象的でした。

河井:刑務所に入って間もない頃です。新人の受刑者は「新入訓練工場」というところに送られます。私もそこに送られました。そこで皆で行進の訓練などをします。

 中には高齢の受刑者もいて、少し動作が遅い人もいます。ところが、刑務官はそういう高齢の受刑者に対しても大きな声で怒鳴りつけて注意するのです。「何度言ったら分かるんだ」「オレの言っていることがなんで分からないんだ」とドヤしつけていました。

 その言葉を聞きながら、思わずはっとしました。

「私の言っていることがなんで分からないんだ」と、私自身も秘書さんやスタッフたちに言っていたなと思い出した。その時に思ったんです。分からないから分からないのに、「なんで分からないのか」と問い詰めても、答えられるはずないですよね。

 自分のすぐ横を歩いている受刑者がわーっと言われているのを見聞きして、「オレも同じこと言っていたよなぁ」ってね。他山の石じゃないけれど、昔の自分の姿がよみがえりました。もっと周りの人たちに愛情や尊敬を持って接するべきだったと、痛切に思いました。

 刑務所の中では、毎日午後9時から就寝時間です。お手洗い以外は立ち上がるのも禁止で、床に横になってないといけない。そうはいっても、6時間、7時間経ったらもう目も覚めてしまう。だから、おのずといろいろなことを考えますよ。刑務所の中では、考える時間は潤沢にあります。