出所後の生活に迷う受刑者のリアル

河井:受刑者にとって、人生の本当の舞台は社会です。何年かだけこの部屋の中にいるに過ぎないのだけれど、「本当はここが自分の人生の舞台かもしれない」とだんだん勘違いしてきてしまう。

 厳しい自由の制限があるから、そこに無理にでも自分を適応させなければならない。順応させようとものすごく努力する。でも、順応すればするほど、刑務所の中の居心地が良くなってしまう。だって、今はそこで生活しているのだから、順応できなかったら不幸じゃないですか。やがて、出所後の社会における自分の姿を想像できなくなっていってしまうのです。

 私のいた刑務所にも心優しい刑務官がいて、「刑期なんてすぐに過ぎていくから、出た後の準備を今からしっかりしておいてください」と毎週末に言っていました。でも、刑務所として受刑者の釈放後につながるような情報提供やトレーニングを早めにしたり、あるいは、受刑者の心情を把握したり、出所後にどんな仕事に就きたいか聞き取りしたり、そういうことを相談できる面談のようなものはありませんでした。

 工場に保管されている受刑者専用の求人案内を同衆たちと一緒に見ると、95%くらいが建設関係の仕事でした。20代や30代ならいいけれど、もっと上の年齢になってくるとしんどい仕事ですよね。でも、そういう職種しかありませんでした。

「就職先は出所後に自分で探せ」ということなのでしょうけれど、そのための情報があるわけではない。刑務所を出る直前になって、「私は一体何をすればいいんでしょう」と相談してくる人がいると笑って話す刑務官もいましたけれど、笑う話じゃなくて、本当にみんな迷っているのだと思います。

 変な言い方かもしれないけれど、半ば強制的に社会復帰させられて、どうしていいか分からない。だから、また犯罪に近づかざるを得なくなり、再犯率がなかなか下がらないのだと思います。

──河井さんの場合は、世間的によく知られていることから来る苦しみもあったのではないですか。後援会など、政治家時代に応援してくださった方々に、挨拶やお詫びにも行かなければなりません。

河井:広島の僕の後援会は、僕が27歳の頃から、ずっと支えてくださってきた、家族同然の付き合いを30年くらい積み上げてくださった方々です。

 ただ、「あらぬ誤解を捜査当局に与えぬために、一切地元には連絡しないように」と弁護団からきつく注意されていたので、接触を控えていました。法務大臣を辞任してから、地元には一切帰らず、連絡もできませんでした。応援して下さった皆さんには大変な心配をおかけしたし、寂しい思いを味わせてしまいました。