外務副大臣時代の木原誠二氏(写真:共同通信社)外務副大臣時代の木原誠二氏(写真:共同通信社)

 2006年4月10日、都内で安田種雄さん(当時28歳)が亡くなった。遺体を発見したのは、その夜、息子に会いに来た安田さんの父だった。遺体が発見された時、安田さんの妻(X子)と2人の子どもは隣の部屋で寝ていたとされた。

 遺体は首元をナイフで刺されており、辺り一面は血だらけだった。事件の管轄だった大塚警察署は、亡くなった安田さんが覚醒剤を使用していたこともあり、自殺と判断して遺族に説明した。

 ところが、事件から12年経った2018年、この不審死事件の記録を読み返したある警察官が「これは自殺とは思えない」と判断し、警視庁捜査一課による再捜査が始まった。しばらくすると、重要参考人であるX子の取り調べを中止するよう捜査一課に命令が下る。

 X子の現在の夫が木原誠二・衆議院議員で、国会が始まると、子どもの面倒を見る人がいなくなるからという理由だった。この時一時停止された取り調べは以後、再開されることはなく、2023年7月13日、露木康浩警察庁長官が、安田さんの死について「事件性は認められない」とコメントした。

 すると、この事件の捜査に当たった警視庁捜査一課殺人犯捜査第一係・元警部補の佐藤誠氏が安田さんの死には事件性があるとして実名告発、会見を開いた。なぜ安田さんの死は自殺とは思えないのか。『ホンボシ 木原事件と俺の捜査秘録』(文藝春秋)を上梓した佐藤誠氏に聞いた。(聞き手:長野光、ビデオジャーナリスト)

◎前編:木原誠二・衆議院議員の妻、その前夫の死はなぜ自殺扱いになったのか

──2006年4月10日、最初に事件が発覚した時、事件の捜査を行った大塚署がなぜ安田種雄さんの死を「自殺」と判断したのか、本書の中でその理由を推察されています。

佐藤誠氏(以下、佐藤):自殺として片付けたかったのだと思います。殺人事件の捜査となると、捜査一課が入ってきます。私も所轄にいたことがあるから分かりますが、一課が入ってくると所轄は対応が大変なのです。食事を用意したり、こき使われたり。

 捜査一課は偉そうというか、『踊る大捜査線』(1997年 フジテレビ)でもそうでしょう。当時は「本部の方々」といった印象が強かったのです。

 所轄はそんな連中の相手はしたくないし、宿直の頻度も増す。休みも取れなくなっちゃう。被害者の安田種雄さんはいわゆる堅気っぽくはないし(安田さんは当時、風俗店を経営していた。覚醒剤も使用していた)。「もういいよ、自殺にしちゃおうよ」という感覚だったのではないかと想像します。

 この事件では、安田さんの司法解剖をしていますが、司法解剖をする前日の段階ですでに、大塚署は自殺だと遺族に説明している。死因が分からないのに、なんで自殺と断定できるのか。推測ですが、自殺で片付けたかったのだと思います。

 これはひどい話で、そこからこの事件のボタンの掛け違いが始まっている。とっかかりで噓をついたから、その後も噓を重ねることになってしまった。そして、時間が経てば状況だって変わる。

 X子も安田さんの妻から代議士の妻に変わってしまった。いろんなしがらみができて、辻褄を合わせようとして、みんなで噓をついている。

 2006年の時点でちゃんと捜査をしていたら、1週間ほどで片付いてもおかしくない事件です。疑う人間の数は限られていますから、防犯カメラの映像を集めて解析すればすぐ分かったはずです。

──2006年に事件が発覚した時に、遺体の発見された現場に、いろいろと不自然な点があったことについても書かれています。