さかなクンになれなかったさかなクンは、たぶんいっぱいいると語る高橋源一郎氏(写真:共同通信社)さかなクンになれなかったさかなクンは、たぶんいっぱいいると語る高橋源一郎氏(写真:共同通信社)

 1つの興味対象を偏執的なまでに追い続ける学者や、ある思想や観念に取り憑かれ、頑なに己の道を突き進む思想家など、世の中には一風変わった人たちがいる。私たちは変わった人を見つけると、不安になり、思わず矯正したくなるが、普通にまともな人ばかりの国からはイノベーションも文化も生まれない。

 私たちはどうして、変わった人を変わったまま受け入れることができないのか。『「不適切」ってなんだっけ これは、アレじゃない』(毎日新聞出版)を上梓した小説家の高橋源一郎氏に聞いた。(聞き手:長野光、ビデオジャーナリスト)

──本書は『サンデー毎日』に連載されている「これは、アレだな」の中から選ばれた文章を集め加筆したエッセイです。「これは、アレだな」とは、どのようなコンセプトのコラムですか?

高橋源一郎氏(以下、高橋):気になった事件や、芸術やサブカルの作品などについて書いたりするコラムはよくあると思いますが、それだけでは面白くない。そこで、取り上げる題材と何かの点で類似する部分のある別の事件や作品も取り上げ、両者を比べて類似点や違い、そこから見えることなどを考えるというコラムです。

 ジャンルの異なる様々な分野の作品を比較したり、最近の若者の旅日記が鑑真(唐の時代の中国の僧侶)の記録に似ているとか最近の作品と古い作品を比べたりすることもあります。

 このコラムのコンセプトを思いついたときに、ぱっといくつか比較できそうな例が思い浮かんだので始めてみましたが、やがて、とても大変なことを始めてしまったのだと気づきました(笑)。「これ」と「あれ」という、最低2つを見つけなければならない。何かを取り上げると、必ず比較対象を見つける作業に追われるのです。

 自分でも面白いコラムだと思うのですが、メチャクチャ手間がかかることに後で気がつきました。

 最初のほうは「あんな作品があった」「あんなことがあった」とこなせていたけれど、次第に記憶のストックも尽きてきて、比較対象を一生懸命に探すようになりました。毎週締め切りが近づくと憂鬱になっちゃう(笑)。でも、上手くいったときは快感ですよ。「これこれ」という感じでね。

──とはいえ、すでに相当な回数を書かれています。

高橋:およそ200回やりましたね。200ペア見つけたということです。このコラム集が本になったのも、今回で3冊目です。

──類似する作品が過去と現代に存在するというのは、過去にあったものを真似して現代の作家が似たものを作っているということですか?

高橋:そういう場合もあるかもしれませんが、多くは偶然の一致だと思います。人は「そういう時期にそういう発想をしがち」という時代背景的な要因から、テーマ、主張、構成などが重なるものが生み出されるのです。

 たとえば、AKB48と、川端康成の『浅草紅団』と、石田衣良の『池袋ウエストゲートパーク』は、かっこいい・かわいい若者たちがカラーギャング集団を結成して、競い合って戦うという構図がそっくりです。

──フランスの映画監督 ゴダールの死について書かれています。高橋さんにとって、ゴダールはなぜこれほど特別なのですか?