マルキ・ド・サドはおろか、江戸川乱歩の一部の作品でさえ、今日のポリティカルコレクトネスの観点から、公に扱うことができなくなった。一方で、高齢者をあからさまに年齢で差別するような世の中になっている。
社会の善悪のバランスは、いつからこんなに奇妙な形になったのか。『「不適切」ってなんだっけ これは、アレじゃない』(毎日新聞出版)を上梓した小説家の高橋源一郎氏に聞いた。(聞き手:長野光、ビデオジャーナリスト)
◎前編「さかなクンよりもすごいさかなクンのお母さん、変わり者を変わったまま受け入れることができる社会とは」
──seko kosekoさんの漫画『マダムたちのルームシェア』や、信友直子監督の映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』、早川千絵監督の映画『PLAN 75』など、老いと老いの受け止め方をテーマにした多数の作品について言及されています。
高橋源一郎氏(以下、高橋):自分が年を取ってきましたからね。今年73歳で、あと2年で後期高齢者です。「老いは自分にとって新しい経験」ということを日々感じています。
哲学者の鶴見俊輔さんが『もうろく帖』という本の中で「今日一日転ばないことを目標にして生きよう」と書いています。かつては「年を取るとそんなものかなぁ」という感覚でしたが、よく分かるようになりました。
僕はスクワットで足腰を鍛えているので、転ぶ心配はないと思っていた。ところが、違うのです。筋肉じゃなくて、バランス感覚が鈍ってくる。
何か取ろうと、ちょっと前かがみになると、そのままつんのめる。老人が倒れるのは神経の鈍りで、神経は鍛えようがない。筋力を鍛えても、転倒は必ずしも防げない。そんな新しい発見がありますね。
それと、老いに関していうと、この国では、68歳、70歳、72歳など、段階を経て少しずつ社会の窓が閉じていく。1人で当たり前にできるはずの契約が、ある日突然「できません」と言われるようになる。
──サービスや行政側の対応ですね。
高橋:先日も、別の場所に仕事場を借りて、インターネットを引こうと思ったら「おいくつですか?」と聞かれた。「72歳です」と答えたら「ご家族の方と契約することになります」って言われて驚いた。70歳以上とはインターネット契約はできないそうです。「どういうこと?」って聞いても「そういう決まりなので」という回答でした。おかしくないですか?
──ちょっと差別的ですよね。
高橋:家を借りるとか、ローンを組むとか、そういうことが年齢に応じて自動的にシャットダウンされていく。『PLAN 75』もまさにそういう話ですが、社会から「高齢者はいらない」と言われている。これはおかしいよね。
「シルバー民主主義」なんて嘘だと思いますよ。そういうレトリックで、若い人に「年よりは恵まれている」と思わせて分断を誘おうとしている。だったら「年よりになってみろ」ですよ。めちゃくちゃ不便だから。
どの世代にも、異なる形の社会の抑圧がある。70代以上には僕みたいな抑圧があったり、若い人は年金の支払いで苦しんでいたり、みんなそれぞれ別々の苦しみがある。だからこそ、僕は「すべての世代が連帯しなければならない」と思います。
──都知事選で議論されても良かったようなテーマですね。
高橋:40代や50代の候補者にはなかなか分からないことでしょう。68歳あたりから、2年ごとぐらいに、年を取ると何かの資格が奪われていく。でも、そういうことになっているとはどこにも書いてない。社会は自分にとって不都合なことは知らせないのです。