岸信介でも感じた「囚人のパラドックス」

河井:また、これもひどいのですが、自費で外部に本の注文をしても、ほとんど品切れ状態なのです。直近の新聞広告に出ていた話題の本やとても有名な本でさえ品切れ。「なんでこれが品切れなの?」と先輩受刑者に聞いたら、「契約している本屋がおかしいんじゃないの」と言っていました。

 一生刑務所の中に留めておくのならまだしも、受刑者は刑期を終えるか、その途中で、必ずまた社会に出て行きます。ひょっとしたら、あなたの電車の隣の乗客や、アパートの隣の住人が出所した元受刑者かもしれない。好むと好まざるとに限らず、出所した人たちと私たちは共存しないわけにはいかないんです。

 そうであれば、刑務所にいた人たちが社会の一員として責任と自覚を持って生活できるようになるほうがいい。出てから急にそうなれと言っても、できないですよ。中にいる時から、そうした訓練をしていかなければならない。しかし残念ながら、塀の中の現実は、それが果たせそうな状況ではありませんでした。

──刑務所の中の人間が、出所して外へ出て行くことがいかに内心では怖いか、「囚人のパラドックス」という言葉で説明されていました。

河井:「囚人のパラドックス」は私が作った言葉です。

 受刑者たちは、とにかく早く外に出たい。1日も早く外に出たい。だけど、釈放された後に応援してくれるような、家族も、親戚も、友人知人もいない。そういう環境で一体どうやって生きていけるのかと、皆すごく不安になりますよね。

 でも、とりあえず刑務所の中にいれば、3食食べられるし、洗濯もしてもらえるし、回数は少ないけれどお風呂にも入れるし、毎月散髪もしてもらえるわけです。

 もちろん、それはすべて国民の税金ですが、生きていくための最低限のものは提供される。だから、外に出たいという気持ちとは裏腹に、やがて「ここの生活も悪くない」と思い始める瞬間が訪れるのです。

 私は妻や友人たちからの本の差し入れのおかげで、刑務所の中で戦前戦中戦後史の本もたくさん読みました。その中の一つ、原彬久さんの著書に、安倍晋三元総理の祖父である岸信介元総理大臣が敗戦後に巣鴨拘置所に収容されていた時、そういう心境になったことを獄中日記にしたためていたという記述がありました。

「一日も早く自由の身になることは誰しも念願するところ」という気持ちがある反面、「住めば都というかこの監禁の世界にも馴れるとまた一種棄て難き味あり」とも書かれている。

 自分の置かれた環境や仕打ちに対して深い憤りは持っていらっしゃったと思いますが、戦後日本を代表する大政治家でさえ、塀の中の環境に慣らされていくお気持ちがあった。これは心理学のテーマかもしれません。