セ・パ2大リーグ制であることを考えれば、両リーグの強者である巨人、南海の人気が拮抗してもおかしくなかったはずだが、実際にはセ・リーグの他の5球団だけでなく、パ・リーグそのものを「マイナー化」するほどに圧倒的な存在になっていく。

1960年代初頭、パ・リーグの試合はセの試合と人気拮抗のコンテンツだった

 読売新聞、日本テレビというメディアグループの一員でもある読売ジャイアンツ=巨人は、当時、急速に普及しつつあったテレビを利用したメディア戦略を展開し、1960年代の10年の間に圧倒的な存在になっていったのだ。

 その過程を追いかけよう。

 1960年、65年、70年、80年の6月1カ月間の一般紙東京版のテレビ欄の野球中継番組の推移を見ていく。

■1960年6月
セ・リーグ:試合数64(テレビ中継試合22、うち巨人戦12)
パ・リーグ:試合数70(テレビ中継試合24)
・放送局別
 NHK:4試合(セ2うち巨人戦2、パ2)
 日本テレビ:18試合(セ11うち巨人戦6、パ7)
 KRテレビ:14試合(セ8うち巨人戦3、パ6)
 NET:10試合(セ0、パ10)
 フジテレビ:4試合(セ1うち巨人戦0、パ3)
*同じ試合を2局が同時に中継した例が4件ある

 セ・パ両リーグの134試合のうち、46試合がテレビ中継された。巨人戦は12試合、南海戦は8試合であり、巨人が独占しているとは言えない。

 1957年11月に開局したフジテレビは4試合、NET(現在のテレビ朝日)は、パ・リーグだけを中継している。この時期には、パ・リーグの試合もセの巨人戦に十分対抗しうるコンテンツだとみなされていたのだ。KRテレビ(現在のTBS)は日本テレビに次いで巨人戦を多く中継している。

 なお、6月4日、5日には東京六大学最大の人気カードである早稲田―慶應戦(早慶戦)が行われたが、NHK、日本テレビが2試合ともに中継、5日の試合はNETも中継している。まだ大学野球がプロ野球と共にコンテンツと見なされていたのだ。