この時期のプロ野球中継は、午後8時から開始することが多かった。当時大人気のプロレス中継からプロ野球へという流れも多かった。またNHK以外は試合終了まで放送することはなく午後9時には別の番組に変わっていた。

60年代半ばにはもう巨人偏重

■1965年6月
セ・リーグ:試合数60(テレビ中継試合22、うち巨人戦18)
パ・リーグ:試合数61(テレビ中継試合2)
・放送局別
 NHK:2試合(セ1うち巨人戦1、パ1)
 日本テレビ:15試合(セ15うち巨人戦14、パ0)
 TBS:7試合(セ7うち巨人戦5、パ0)
 NET:1試合(セ0、パ1)
 フジテレビ:3試合(セ3うち巨人戦1、パ0)
*同じ試合を2局が同時に中継した例が5件ある

 この月の121試合のうちテレビ中継があったのは24試合だった。

 この年はNPB史上空前の巨人のV9(セ・リーグ、日本シリーズ9連覇)が始まった年だが、1960年からわずか5年で、セ・リーグ偏重、巨人偏重が急速に進んだ。6月の巨人戦18試合はすべて中継された。しかしパ・リーグの試合は6月20日の日曜日にNHKが東映―西鉄戦、NETが南海―近鉄戦を中継しただけ。

1973年11月、巨人のV9を達成した監督の川上哲治(手前)、左は長嶋茂雄=後楽園球
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 ただ、この時期は、日本テレビが甲子園球場や川崎球場、広島市民球場など、巨人の本拠地・後楽園球場以外での試合も中継している。まだ巨人主催試合は日本テレビ、他球団主催の巨人戦は他局という棲み分けはできていなかった。