アンネは毎晩、無線で英BBC放送を聞きながら連合軍の進軍状況を地図に書き込んだ。「いま希望を抱いています。本当にとてもうまくいっています」と日記に記した2週間後の44年8月4日朝、隠れ家は警察に捜索される。アンネは収容所で壊れた少女のようになって息絶えた。

 30年後、女王はアンネが自分と妹の写真を寝室の壁に貼っていたことを知った。一家4人の唯一の生き残りである父親に「私たちの写真が娘さんに一時でも安らぎを与えたことを」と手紙を書いた。2015年、女王はドイツにある収容所跡のアンネ姉妹の墓碑を訪れ、頭を垂れた。

盛り上がる話題は馬と犬だけ!

 ゲストにとって女王との会話は掴みどころがなかった。「公式の場ではどんな会話も女王が始め、それ以上の質問は女王だけがするようにプロトコルで決められていた。ゲストの立場からすれば女王との会話はクイズ番組に出演するようなものだ」とブラウン氏は解説する。

 会話は1分以内。女王は自分の意見を口にしない。「毎週謁見する首相でさえ、議論する主要な問題の多くについて女王が何を考えているのかよく知らない。女王は記憶に残るようなことは何もしていないし、何も言っていない」とアリスター・キャンベル元首相報道官は振り返る。

エリザベス女王と馬。1943年撮影(写真:Mary Evans Picture Library/アフロ)
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 女王は、誰かと会話できても、盛り上がる話題は馬と犬しかなかった。真偽のほどは疑わしいが、昭和天皇と1時間話した後、侍従に対し女王は「天皇は熱帯魚の話しかできない」と愚痴り、昭和天皇は逆に「女王は馬の話しかできない」とこぼしたというエピソードが残っている。

1975年5月、来日したエリザベス女王と昭和天皇(写真:AP/アフロ)
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