歴代天皇たちは、森に籠もって一体何をしていたのか?──大阪府の古墳群「百舌鳥・古市古墳群」の世界文化遺産登録が、ほぼ確実となった。「天皇の墓」と伝えられる前方後円墳の形を空撮映像で見て、住宅地に突如あらわれる特異な形をした「森」に、違和感を持った方もいるのではないだろうか。中沢新一氏の著作『増補改訂 アースダイバー』から、天皇と「森」の知られざる深いつながりを紹介する。(JBpress)
(※)本稿は『増補改訂 アースダイバー』(中沢新一著、講談社)の一部を抜粋・再編集したものです。
天皇と「森」の深いつながり
都内の有数の森は、その多くが天皇家にかかわりをもっている。明治天皇の御霊を祀る、明治神宮の森の広大さは言うまでもないが、天皇ご自身も、深い緑におおわれた皇居の奥に、おすまいになっている。天皇ご自身が、森の中にサステナブルに身を潜められたというような事例は、近代天皇制の以前には、南朝の例以外にはない。その意味では、ここ百数十年の近代天皇制は、深い森にまもられて存続してきたと言える。
それ以前の歴代天皇は、一時的に深い森の奥に身を潜めるということはあっても、皇居そのものが森の中につくられたことはない。皇居はふつう、広々と開かれた空き地に建てられたので、奥の方までは見られないとしても、視覚をさえぎる樹木は極端に少なかったから、どの方角からもりっぱな建物の存在を認めることができた。
そのため、天皇に近い皇族なども、世界を見る視線の高さだけは、下々のものとほとんど同じであったし、家の門を出て気軽に外出する感覚で、皇居の内外を行き来することができた。
歴代天皇たちは、こういう平地に開かれた皇居に暮らしていたのであるが、ときどき深い森の中に身を潜めるという、奇妙な行動をおこなった。そのころ熊野や吉野は、都から見ると、死の支配する野生の領域と考えられていて、多くの天皇はその「野生の森」に出かけて、森の中に何日間も籠もってしまうのだった。
森の奥に籠もって、野生の森の放つ霊威を身につけようとしたのである。平地の皇居に暮らしている間に、衰弱してしまった「天皇霊」のパワーを、死霊の領域でもある深い森に籠もることで、復活させようとしていたとも言える。そういうわけで、天皇が森の奥に籠もるという行為には、どこかしら不穏なものがつきまとっている。
皇位継承にからんで、皇子のご兄弟が不仲となり、一触即発の事態になったときなどは、形勢不利と見たいっぽうの皇子は、しばしば起死回生のために、命がけで神聖な森への脱出行をこころみたものである。
森の霊威を全身に浴び、死霊の力を味方につけた皇子は、こうして死の領域からの決死の出撃をこころみた。じっさい壬申の乱でも南北朝動乱でも、クーデターを企てた皇子や天皇は、森の奥への退却行を実行している。