平成時代の最後の4月30日、上皇となられた先の天皇は「天皇としての務めを、国民への深い信頼と敬愛をもって行い得たことは、幸せなことでした。象徴としての私を受け入れ、支えてくれた国民に、心から感謝します」と、最後のお言葉を述べられ、史上初の「象徴天皇」の在り方を考究され続けた。
そして令和と改元された翌5月1日には、新天皇が「常に国民を思い、国民に寄り添いながら・・・象徴としての責務を果たすことを誓う」、とのお言葉を発せられた。
この一連の御代替わりの行事が粛々と進む様子をテレビで観ながら、日本の万世一系とはこういうことかと改めて胸を締め付けられた。
2670余年、126代にわたって皇統を紡がせてきた皇位継承の儀式に深い感慨を抱かずにはおれなかった。
令和の元号が国書から採用されたことは、「国民と共にある皇室」を一段と強く感じさせることになるのではないだろうか。
古くて新しい日本を実感
古さと新しさが同居するのはなかなか困難であるが、日本はそれを見事に実現してきた。
今回は明治以降3代の終身在位に替わる202年ぶりの譲位による御代替わりではあるが、伝統に則った古式豊かな行事が日本の国の在り様を余すところなく見せてくれた。
国家の芯柱ともいうべき天皇を「権威」の存在として、どろどろした権力闘争の政治から離れたところに置いたのは日本の英知である。
そのことを思えば思うほど、皇室の存在の重要性が認識され、皇位継承の行事が日本の安定を保持し続けるカギであることが理解できる。
世界の潮流に思いを馳せることも大切ではあるが、ポピュリズムに迎合するあまり、国家独自の在り様を世界の潮流に合わせることは国家を喪失するも同然である。
近年は国家でもない合議の場でしかない国連とやらが、男女同権などの立場から日本の皇室制度にクレームを挟む状況も見られたが、立場をわきまえない越権も甚だしい。