ところがわが天皇の権威は、いと高き天の観念に支えられているのではなく、神話に支えられている。神話はこの現実の空間や時間に属さない、特別な時空間のことを語る。オーストラリア・アボリジニーは、そういう時空間のことを「ドリームタイム(夢の時間)」という、すてきな名前で呼んでいるが、天皇の権威を支えてきたのは、まさにそのドリームタイムにほかならなかった。
神話の語られるドリームタイムは、現実の世界には属していない。文明にも属していない。むしろそれは文明の外、野生の自然のうちに見出されるのでなければならない。そうなると、天皇の権威の源泉を、文明的な都市の中に見出すことなど、不可能なことになってしまう。
そのために、権力の根拠について根本の考え方のちがう中国の王城を模して、平地に皇居をつくったことで、わが天皇制は矛盾をかかえこむことになった。天皇の権威の根拠を支える神話の時空は、文明の外、自然の奥にひそんでいる。ドリームランドは都市の中でも天上界でもなく、森の奥にこそ見出されなければならない。こうして、歴代天皇たちはしょっちゅう都を脱出しては、熊野や吉野の森への「隠退」をおこなってきたのだった。
すると、明治になって皇居が東京に移り、それが都市の延長上ではなく、都市の中心部にありながら、都市で展開されている騒がしい開発からぽつんと取り残された、緑濃い森の奥につくられたということには、なにかいままで十分に考え抜かれたことのない、近代天皇制の本質にかかわる、深い意味が隠されているのではないか、と思えてくる。
中心であり境界、不思議な空間「皇居」
太田道灌(おおたどうかん)が江戸城を築城した当時、その城は、関東に広がる巨大な洪積台地が海に向かって突き出した「ミサキ」の場所に建てられていた。その城はまだ小さなものだったが、眼前に広がる雄大な江戸前の海水は、城の足許をたえず洗っていて、自分の立っているのが、ミサキの境界地帯だとすぐにわかった。中世の城は、よくそういう場所に建てられたのである。
ところが徳川氏が太田道灌の城のあった場所を居城にしたとき、まっさきに考えたことは、もう中世じゃないんだから、いつまでも城をミサキのような境界領域に建てるのはやめにして、城というものを都市のエッセンスを象徴する場所に改めようではないか、という近代的な思いつきだった。
そのためには、自分の立っている場所がミサキでなくなればいい。こうして、今日の銀座や新橋の基礎をなす、江戸前の海の大規模な埋め立て計画が、進行していった。
ところが、近代天皇の御代になって、江戸城はふたたび森に戻されてしまった。たしかにそこはもう海水の寄せるミサキの境界領域ではなくなって、大都市東京のむしろ中心部にあった。
しかし、この新しい皇居は都市の中心部にありながら、その内部に都市性の原理は及んでこないようにつくられた。皇居は都市性のエッセンスをあらわす場所ではなく、めまぐるしく展開していく都市の外にある、不思議な静けさをたたえた自然の森に、変貌をとげてしまったのだ。
中心がそのまま境界である、という不思議な空間が、こうして東京のど真ん中に出現することになった。東京はその中心に、この奇妙な「メビウスの輪」のような空間をセットしたのである。中心がそのまま境界につながり、内側がいつのまにか外側に出てしまう、現代は過去にひとつながりになっている、このような奇妙な構造をした空間がど真ん中にすえられることで、東京の生活はじつに味のあるものになった。