イスラエルとヒズボラ、対立の歴史
イスラエルとヒズボラは長い対立の歴史があります。
イスラエルがレバノンに侵攻し「第5次中東戦争」とも言われた1982年、ヒズボラはレバノンの政党・民兵組織から分裂する形で結成されました。ヒズボラとはアラビア語で「神の党」の意味。結成後は「イスラエルの排除」を掲げて武器と民兵組織を強化し、イランの支援を受けてイスラエル攻撃を繰り返してきました。
2006年の戦闘ではイスラエルに大きな損害を与えたほか、イスラエルの後ろ盾である米国に対しても国外の軍事基地などを攻撃しています。同じイスラム教シーア派のイランやシリアの支援を受けており、10万発を超すロケットを保有するなど、強大な軍事力で知られています。
そうした軍事組織である一方、ヒズボラは強大な政治組織でもあります。レバノン議会(定数128)では13議席を持ち、友好会派を加えた勢力は近年、議会の半数近くを握っています。また、労相などの閣僚も輩出。首相を選出する際の政党・宗教間調整でも強い発言力を持っています。学校や病院、福祉施設などの公共サービスも手掛けており、住民の支持も小さくありません。
ポケベル爆弾などによる連続爆破事件は、中東情勢に大きな影響を与える恐れがあります。