プロ野球を「日本球界の最高峰」に、巨人を「球界の盟主」に押し上げた男

 そして長嶋茂雄の劇的な活躍は、当時の「野球界の勢力図」も書き換えていく。

 一つは、この時期まで並び立つ存在とされた「大学野球」「都市対抗」「プロ野球」の中で、プロ野球が「日本のトップリーグ」として認識されるようになった。それ以前の野球雑誌では「大学野球、プロ野球もし戦わば」のような記事が何度も出ていた。当時は「大学野球の方が強い」と本気で考えるファンがたくさんいたのだ。

 しかし長嶋茂雄の登場で、プロ野球は一気にメジャーな存在になった。新聞の「運動欄」で、プロ野球の記事の面積が大学野球や都市対抗を大きく上回るようになる。

 さらに、巨人、セントラル・リーグが、パシフィック・リーグに「絶対的な優位」となる。長嶋茂雄がプロ入りに際して「巨人か南海か」で逡巡したのは、当時の読売ジャイアンツと南海ホークスにそれほどの差がなかったことを意味している。

 この時期のラジオ、テレビの番組欄を見ると7時台のゴールデンタイムでは、日本テレビが「巨人戦」を中心に放映したのに対し、NHKや他の民放は他のチームの試合中継をしていた。「巨人-阪神戦」と「南海-西鉄戦」は、ともに「黄金カード」だった。

 しかし1959年以降、テレビでの野球中継は「巨人戦」が中心になっていく。巨人の人気が他球団を圧倒していくのだ。その中心に長嶋茂雄がいたのは言うまでもない。