プロ2年目にして、あの天覧時代のサヨナラホームラン

 実は長嶋がデビューした1958年は「運命の年」と言ってもよかった。

 宮内庁はこの年11月27日、皇室会議が日清製粉社長正田英三郎の長女・美智子を皇太子妃に迎えることを可決したと発表した。皇太子とは今の上皇だ。

「結婚の儀」は翌1959年4月10日と発表され、皇居から渋谷の東宮御所まで「ご成婚パレード」を行うとした。このパレードはテレビ中継されることとなる。

 このニュースを聞いた日本国民は、テレビ受像機を続々と購入、1955年に16.6万だったNHKとのテレビ受信契約台数は1959年には200万を突破する。

 皇太子妃美智子妃殿下にちなんで「ミッチー・ブーム」と名付けられた社会現象で、日本人の生活習慣は一変し、茶の間の中心にはテレビが鎮座することとなったが、このテレビの向こう側で「巨人、長嶋茂雄」の大活躍が始まったのだ。

 皇太子ご成婚の熱気冷めやらぬ1959年6月25日、史上初の天覧試合が行われ、長嶋茂雄が阪神、村山実から劇的なサヨナラホームランを打った。この模様は、NHKだけでなく日本テレビ、ラジオ東京、ラジオ関東、日本短波放送でも中継された。国民の皇室への親近感はかつてなく高まっていたが、それとオーバーラップする形で長嶋茂雄の躍動する姿が全国に映像となって伝えられた。

 プロ野球はこの瞬間に、日本の「ナショナルパスタイム(国民的娯楽)になったといってよい。