源泉徴収の始まり戦費の安定調達が目的

 源泉徴収と年末調整が存在する限り、「年収2000万円以上」「2カ所以上から給与をもらっている」などの例外を除き、企業などに勤める労働者は自ら確定申告する必要はありません。では、こうした制度はどのような経緯で日本に導入されたのでしょうか。

 源泉徴収の制度が始まったのは戦前です。1931年の満州事変、1937年の日華事変など、日中の戦争が泥沼化。1940年代に入ると、英米と開戦すべしという機運も高まっていました。そうしたなか、巨大な戦費を安定的に確保するため、政府は1940年に源泉徴収制度を採り入れたのです。

 同じ年、日本はドイツ、イタリアと「三国同盟」を結びます。そのドイツでは1920年代から大衆課税の強化策として源泉徴収制度が確立。日本の大蔵省(現・財務省)はそれを参考にし、税収増を図る目的で源泉徴収の制度を創り上げました。

 第2次世界大戦で無条件降伏した日本では戦後、連合国軍総司令部(GHQ)の手によって日本を戦争に導いた社会システムが次々と改変されていきますが、源泉徴収は安定的に課税できるシステムだとの理由で残されました。

 他方、年末調整が始まったのは、敗戦から2年後の1947年のことです。敗戦の混乱で税務職員が大幅に不足していたことなどから、扶養親族の種類や人数などの所得控除に関する計算と税の精算・納付に至る手続きを事業者側が代行することになったとされています。源泉徴収や年末調整といった“国の業務”を事業者が担うことについては、その見返りとして事業者に交付金を支給する制度もありましたが、1951年に廃止されています。

 こうした結果、ほとんどの労働者は納税手続きに自ら直接関与することはなくなりました。個人の負担軽減、税務行政の簡素化に寄与したことは間違いありませんが、事業者側の負担は増加。税に関する国民の関心は低下し、「タックスペイヤーとしての権利意識」は欧米に比べて著しく希薄になったとされています。