渡る世間はフェイクばかり——情報過多の時代、もっともらしい文章や画像、映像を簡単につくる生成AIまで登場し、何が正しくて、何がフェイクなのか、ますますわかりにくくなっています。世にまかり通り数々のフェイク、本当のところはどうなのか。政治学者の岡田憲治氏(専修大学法学部教授)が切り込んでいく。
第3回目は選挙のルールを定めた公職選挙法について。政治活動を「取り締まる」発想でつくられた法律を変えなければ、日本の政治が成熟することはないと主張する。
(*)本稿は『半径5メートルのフェイク論「これ、全部フェイクです」』(岡田憲治著、東洋経済新報社)の一部を抜粋・再編集したものです。
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未開封のお茶は「持ち帰って転売される可能性がある」?
選挙が始まると、応援している候補者の事務所に様子うかがいやプチお手伝いに行ったりします。「どうよ? いい感じ?」なんて、近所のおやじ丸出しで若手の秘書なんかと雑談します。
気をつかって出してくれるお茶のペットボトルの蓋は「開いて」います。未開封のものだと選挙違反になる可能性があるからです。未開封のお茶は「持ち帰って転売される可能性がある」からだそうです。
これは選挙人への「寄付」に当たります。ちなみにお茶は出してもよいのですが、コーヒーは「嗜好品」ゆえにダメだとされています。「玉露」は微妙だそうです。実に馬鹿げたルールです。
こういうルールがてんこ盛りの法律が公職選挙法です。この項目の焦点は、「公正な選挙のために公職選挙法がある」という「隠れたフェイク」を知ることです。
隠れているというのは、そんなことをほとんど誰も知らないという意味です。馬鹿げたルールの存在も、それがもたらす政治への「ダメ効果」も知りません。無理もありません。それに我々が注意を払う道筋すら閉ざされているからです。
戦後に新憲法ができて、すべての成人が選挙権を得ることになりましたから、それまでの選挙に関する法律は取り替えねばなりませんでした。
戦前「衆議院議員選挙法」(普通選挙法)と呼ばれていた「女性を除く25歳以上のすべての成人」に選挙権を与えるこの法律ができたのは、1925年(大正14年)です。直接国税を払う者だけに制限されていた投票の権利を広げた法律でした。