保有球団の赤字補填は親会社の広告費

 ただし、この時点で「球団による独立採算」を考えた親会社は一社もなかった。新聞の拡販、電鉄の運賃収入、映画の観客増など、親会社の「広告効果」を期待しての球団保有だった。

 1954年8月、国税庁は「職業野球団に対して支出した広告宣伝費等の取扱について」という通達を出し、映画、新聞、地方鉄道等の事業を営む法人(親会社)が、自己の子会社である職業野球団に対して支出した広告宣伝費等の取扱について親会社が、各事業年度において球団に対して支出した金銭のうち、広告宣伝費の性質を有すると認められる部分の金額は、これを支出した事業年度の損金に算入するものとすること――と規定した。

 要するに球団の赤字補填を「広告費とみなす」としたのだ。この税制上の優遇によって親会社は球団の支援がしやすくなったのだ。

 見方を変えれば、この「国税庁通達」によって、NPB球団は「独立採算制」への移行を阻まれたといえる。今に至るも、多くのNPB球団は、親会社に依存している。コロナ禍では多くの球団が親会社から損失補填を受けた。

 この点、完全独立採算制でずっとやってきたMLB球団とはビジネスマインドが異なっているといえよう。

 1950年の2リーグ分立後、セ・リーグでは巨人、阪神、中日が強く、パ・リーグでは南海、西鉄が覇権を争った。しばらくは両リーグに大きな人気の格差はなかった。

 夕方のゴールデンタイムにはラジオで「巨人-阪神戦」と「南海-西鉄戦」がともに「黄金カード」として放送されていたのだ。

 1958年、立教大学から巨人に長嶋茂雄が入団したのを契機として、セ・パの力関係は大きく変化した。この点については、次回に詳しく紹介する。