「あの灯りは何か」

 1959年6月25日、後楽園球場の巨人-阪神戦で、史上初の「天覧試合」が行われた。

 昭和天皇は毎夜、皇居の北側に明るい光の帯が立ち上るのを見て「何か?」と質問された。「職業野球のナイターでございます」と聞いて「見てみたい」と言われたのだ。

 当日、昭和天皇を球場の貴賓室に案内したのは読売新聞社主の正力松太郎だった。天皇とは「虎ノ門事件」で警視庁を追われて以来、36年ぶりの再会だった。正力は緊張のあまり、貴賓室に上る階段で転倒しそうになっている。

1959(昭和34)年6月25日、初の天覧試合となる巨人-阪神戦が後楽園球場で行われた。先発は巨人・藤田、阪神・小山の両エース。9回、巨人の長嶋三塁手がこの日2本目の本塁打を村山投手からレフトへ放ちサヨナラ勝ち。テレビの普及につれプロ野球人気が伸びた(写真:共同通信社)
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「プロ野球の父」正力松太郎の「野望」によって発展したプロ野球は、この天覧試合を契機として「日本のナショナル・パスタイム(国民的娯楽)」へと成長するのだ。