日本人が慣れ親しんだ「中華料理」は、1980年代以前に日本にやってきた中国人が、故郷の味を日本人向けにアレンジして誕生した。有名なのが、「四川料理の父」と呼ばれた陳建民で、あの「麻婆豆腐」の日本風レシピや「海老のチリソース」を考案した人物として知られている。陳建民は、東京・平河町に「四川飯店」を開店し、その味はかつて「料理の鉄人」というテレビ番組で、中華の鉄人として一躍、時の人となった陳建一、そして、その息子で現オーナーである陳建太郎へと三代にわたって引き継がれている。

 そもそも、陳建民は、中国四川省の出身。若くして料理人を志し、中国各地のレストランを渡り歩いた。1952(昭和27)年に来日。その後、四川飯店を出店し、NHK「きょうの料理」の講師を務めるなど、日本に中国料理を広めた第一人者として知られる。

 建民のように終戦後の1950年代、60年代に中国からやってきた華僑は「老華僑」と呼ばれる。同じく、横浜や神戸、長崎にある「中華街」を形成した人々も「老華僑」だ。彼らは帰化し、日本国籍を取得。中国系日本人として日本に根付いた。

 こうした「老華僑」が持ち込んだ中国料理の総称が今の「中華料理」だ。彼らはいち早く、日本人の生活、慣習に溶け込むため、日本人の口に合った中国料理を次々と考案した。

 しかし、現在の高田馬場のそれは「中華料理」ではない。そもそも、世界最大の人口を有する中国は、民族の坩堝だ。また、国土そのものが広大で、その土地によって全く異なる文化を有する中国は、数え切れない郷土料理が潜む、魅惑の食の大陸でもある。

 例えば「華北」と呼ばれる「河北省」「山西省」「内モンゴル自治区」。大平原に暮らす遊牧騎馬民族の郷土料理は、小麦を主食とし、水餃子や饅頭など日本人にもよく知られている。一方の「華南」。南シナ海に面し、温暖な「広東省」「海南省」の主食は米。海で獲れた海産物を使った料理が並ぶ。

 つまり、高田馬場に誕生しつつあるのは、中国の郷土食が色濃く反映された中国料理店、中国食堂なのだ。客の大半は中国人。日本人からすると、中国に旅行に行った時に食べる、現地の味だ。

高田馬場ならのびのび商売できる

 JR高田馬場駅から、早稲田方面に5分ほど歩いた場所にある「本格熊猫」は、四川省出身のオーナー・劉少虎さんご夫妻が7年前に開いた店だ。午後4時。店に入ると、大学や予備校帰りの中国人留学生で7割ほど席が埋まっていた。日本語はほぼ聞こえない。鼻を突くのは醤油の焦げる匂いだろうか。ただし、日本の醤油の香りとは若干、異なる。それにしても、食欲をそそる香りだ。まさに、日本にいながら中国を旅しているような気分になる。

 劉さんは料理だけでなく、旅行関係のビジネスも展開していて、いわゆる「経営者」の雰囲気がある。店で出すのは故郷「四川省」の料理だ。

「日本の四川料理は、砂糖が多く使われるので甘く、とても故郷の味とは思えません。お客様の多くが中国人なので、日本人向けにアレンジをせず、中国で食べられている味をそのまま再現しています。最近では本場の味が食べられると日本人客もやってくるようになりました」

 劉さんに、なぜ競合の多い高田馬場だったのか、と尋ねた。やはり、高田馬場には中国人が通う日本語学校や予備校、大学があると語り、こう続けた。

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