撮影/西股 総生(以下同)

(歴史ライター:西股 総生)

●史実からはみ出した天守たち(前編)

本物の天守と「はみ出し天守」の違い

 模擬天守や天守形施設といった、「はみ出し天守」を見てゆくと、何となく形がユルいことに気がつく。本物の天守と比べると、何となく作り物っぽかったり、どことなくビルっぽく感じられたりするのだ。では、「はみ出し天守」はなぜ、ユルく見えるのだろう。

「はみ出し天守」がユルく見える原因の一つは、高欄・廻縁(こうらん・まわりえん)にある。「はみ出し天守」たちのほとんどには高欄・廻縁が装備されているが、理由は簡単で、最上階を展望台としたいからだ。

 実際、廻縁には双眼鏡が設置されていたりする。観光客用の展望台となれば安全が最優先だから、高欄も人の胸までの高さが必要だし、さらに転落防止用の柵やネットを追加してある。

熱海城の廻縁。高欄がこのくらい高ければ怖くないし、軒が深いので雨の日も安心だ

 一方、現存12天守のうち、バルコニーとして使える高欄・廻縁があるのは犬山城・高知城の2棟だけだ。丸岡城・彦根城・松江城・伊予松山城にも高欄が付いているが、単なる飾りでバルコニーとしては使えない。本物の天守では、バルコニーとして使える高欄・廻縁は少数派なのである。

犬山城天守(現存)の最上部。高欄の高さに注意。廻縁を歩いている人は心なしかへっぴり腰に見える

 それに、天守はもともと観光施設ではないから、安全性など配慮していない。犬山城の廻縁を実際に歩いてみるとわかるが、高欄が腰くらいの高さしかなくて、風の強い日はけっこう怖い。本物の天守は、木造建築物としてのカッコ良さ優先で設計されているが、観光施設として建てられた「はみ出し天守」は安全を優先した設計だから、高欄がユルく見えてしまうのである。

博物館として建てられた千葉城模擬天守。高欄に転落防止柵を追加している。ずらっと並んだ窓がビルっぽさを醸し出している

 もう一つ、注意深く見比べればわかる違いとしては、窓がある。本物の天守と比べて、「はみ出し天守」は全体に窓が大きく、数も多い。

 天守はもともとは戦闘施設だから、室内の採光よりも耐弾性・耐火性が優先する。天守の中で日常生活を送るわけではないから、外の状況を窺う視察窓と、銃眼としての機能さえ果たせばよいのだ。当然、開口部は最小限に抑えようとするし、木造建築では柱の位置を避けて開口するから、窓のレイアウトは変則的になることも多い。

唐津城模擬天守。史実からはみ出してはいるが、窓が控えめなので美しく見える

 これに対し、「はみ出し天守」は観光施設などとして建てられるから、どうしても採光に配慮した設計になる。しかもコンクリート建築では柱位置の制約がないから、ともすると大きな窓が壁一面にずらっと並ぶことになる。ビルっぽく見えてしまうわけである。

 ちなみに、「はみ出し天守」でも伊賀上野城や唐津城は、あまりビルっぽく見えず、なかなか城らしい美しさを感じさせる(少なくとも遠目には)。これは、伊賀上野城も唐津城も、窓の数やサイズが押さえられていることが大きい。伊賀上野城の場合だと、無理に高欄・廻縁を付けていないのもよい。

はみ出し天守たちのコンクリ製石落としは、ふさがっていて射撃することも石を落とすこともできない。平和なのだ

 天守とは、もともと城の中心にそびえる最大・最強の戦闘施設だ。ゆえに、本来は血と硝煙の臭いをまとっている。現代人が、それを毒抜きして観光施設にアレンジしたのが「はみ出し天守」なのである。毒抜きされているのだから、ユルく見えるのは当たり前というわけだ。

尼ヶ崎城模擬天守。住宅街の中に忽然と天守が建つ光景はなかなかシュール。城好きなら一度は訪れてほしい

 そう考えるなら、「はみ出し天守」のユルさは、よい意味での平和ボケともいえる。であるなら、大河ドラマや歴史小説・マンガを楽しむように、「はみ出し天守」のユルさもまた、フィクションとして楽めばよいではないか。

 なお、「はみ出し天守」についてもう少し詳しく知りたい方は、9月6日発売の『歴史群像』10月号に「華麗なる?〝非史実系天守〟の世界」「〝非史実系天守〟の軍事学」を寄稿しているので、参照していただけるとありがたい。