(歴史ライター:西股 総生)
天守のほとんどは「再建」されたもの
城といえば、たいがいの人は天守を思い浮かべる。でも、江戸時代から現存している天守は全国に12棟しかない。弘前城、松本城、犬山城、丸岡城、彦根城、姫路城、松江城、備中松山城、丸亀城、伊予松山城、宇和島城、高知城だ。
各地に建っている天守のほとんどは、何らかの形で「再建」されたもので、しかもほとんどは鉄筋コンリート造である。このうち、図面や写真・史料などをもとに外観を再現したものを「外観復元天守」、一見それらしいが復元とはいえないものを「復興天守」と呼び習わしている。
外観復元天守の主なものとしては、名古屋城、大垣城、和歌山城、岡山城、福山城、広島城などがある。これらは第2次大戦の空襲によって失われ、戦後に鉄筋コンリートで再建されたものだ。ただし、よく見ると細部の詰めが案外甘かったりする。
また、復興天守と呼ばれているものには小田原城、諏訪高島城、大坂城、小倉城、岡崎城などがある。これらは一応、写真や資料を参考に設計されているが、本物とはかなり違う形になってしまった「惜しい」天守たちだ。
小田原城・諏訪高島城・岡崎城では、本来はなかった高欄・廻縁(手すり付のバルコニー)が追加されているし、小田原城は本来の3階建てが4階建てになっている。大坂城は、屏風絵を参考に豊臣時代の天守をイメージしたデザインになっているが、徳川時代に再築城された石垣に載っているのでミスマッチだ。小倉城は本当は破風のない天守だったが、城らしくしたかったのか、破風が追加されて実物とはかけ離れた姿になっている。
他にも、史実とはまったく異なる形に「再建」されたものや、もともと天守のなかった城に建てられたものが結構あって、一般には「模擬天守」と呼ばれている。ただ、外観復元天守-復興天守-模擬天守の区別は曖昧で、人によって分類が違ったりする。
たとえば、浜松城や伊賀上野城の場合だと、天守台の石垣が残っていて、かつて天守が建っていたことは間違いないのだが、江戸時代の早い時期に失われて史料が残っていない。そこで、もっともらしい形の天守を新規に設計して、天守台の上に建てている(伊賀上野城は戦前に木造で再建)。これを復興天守と呼ぶべきか、模擬天守と呼ぶべきかは、なかなか悩ましい問題だ。
諏訪高島城の場合も、オリジナルとの相違点が屋根の質感、最上階の高欄・廻縁くらいなので、外観復元天守に分類される場合も多い。要するに、ほとんどの再建天守は、何かしら史実からはみ出しているわけで、はみ出し具合によって評価が分かれて、誰がどう見ても、全面的にはみ出しちゃってるのが模擬天守、というわけである。
はみ出し具合からいうなら、さらに異世界レベルまではみ出しちゃってるものもある。そもそも城ではない場所に、観光施設や公共施設・商業施設などとして建てられた、天守の形をした建物たちである。あえて呼ぶなら、「天守形施設」「天守風建築」となるのだが、こうした建物は全国各地に意外なほどたくさん見出すことができる。
史実を重視するなら、模擬天守や天守形施設はイミテーションでしかないから、歴史的価値はないことになる。でも、はみ出したものは、はみ出したものとして、そのはみ出し具合を楽しむのも、筆者は面白いと思う。(つづく)