今回は、大河ドラマ『光る君へ』において、藤原道長の嫡男・渡邊圭祐が演じる藤原頼通を取り上げたい。
文=鷹橋 忍
道長の愛子
藤原道長の嫡男・藤原頼通は、正暦3年(992)に生まれた。父・道長が数えで27歳、黒木華が演じる母・源倫子が29歳の時の子である。
一条天皇の中宮となった見上愛が演じる彰子は、四歳年上の同母姉だ。
他にも、木村達成が演じる三条天皇の中宮となった姸子、関白となる教通、後一条天皇の中宮となった威子、敦良親王(のちの後朱雀天皇)の妃となった嬉子という、同母の妹弟がいる。
頼通は『紫式部日記』に、「殿の三位の君」として登場する。
紫式部は寛弘5年(1008)の17歳の頼通を、「こちらが恥ずかしくなるほどご立派」、「物語のなかで、ほめそやしている男君のよう」と称している(宮崎莊平『新版 紫式部日記 全訳注』)。
秋山竜次が演じる藤原実資の日記『小右記』長保3年(1001)10月9日条では、頼通を道長の「愛子」としており、頼通は道長の最愛の息子だったといわれる(繁田信一『孫の孫が語る藤原道長 百年後から見た王朝時代』)。
「男は妻がらなり」
道長の後継者である頼通は、破格の昇進を遂げていく。
一条天皇の治世下の長保5年(1003)に12歳で元服すると、正五位下の位階が与えられた(通常は、一ランク下の従五位上)。
寛弘3年(1006)、15歳の時に、従三位に叙されて公卿となり、寛弘6年(1009)18歳で権中納言になっている。
歴史物語『栄花物語』巻第八「はつはな」によれば、頼通はこの年、隆姫女王と結婚した。
『栄花物語』は隆姫の年齢を15~16歳としているが、平安末期の公卿・藤原宗忠の日記『中右記』寛治元年(1087)11月22日条に記載の没年齢から逆算して、15歳だったと思われる。
隆姫の父は具平親王(村上天皇の第七皇子)、母は為平親王(村上天皇の第四皇子)の娘と申し分のない家柄であり、道長はこの縁談を、「男は妻がらなり。いとやむごとなきあたりに参りぬべきなめり」(男子の価値は妻で定まる。高貴な家に婿取られていくべき)と大変に喜んだ。
なお、この言葉は道長の結婚観をよく伝えているといわれている。
頼通と隆姫は大変に仲睦まじかったが、実子には恵まれなかった。