今回は、大河ドラマ『光る君へ』で、塩野瑛久が演じる一条天皇を取り上げたい。
文=鷹橋 忍
7歳で即位
一条天皇は天元3年(980)6月、段田安則が演じた藤原兼家の邸宅である東三条第で生まれた。諱は懐仁(ここでは一条天皇で統一)と定まった。
父は坂東巳之助が演じた円融天皇、母は吉田羊が演じる藤原詮子。円融天皇の唯一の子であった。
円融天皇は永観2年(984)8月27日に26歳で退位し、本郷奏多が演じる花山天皇が即位。同日、一条天皇は5歳で皇太子に立てられた。
ドラマでも描かれたように、寛和2年(986)6月、花山天王が出家し退位すると(寛和の変)、一条天皇は僅か7歳で即位する。
皇太子には同年の7月16日に、冷泉院(円融の兄)の皇子・居貞親王(木村達成が演じる後の三条天皇/母は藤原兼家の長女・超子)が立てられた。このとき居貞は11歳、一条天皇より年上だった。
最初は外祖父の兼家が摂政となり、兼家の死後は、兼家の長男・井浦新が演じる藤原道隆が摂関をつとめ、「中関白家」と呼ばれる道隆の一族の繁栄がはじまった。
定子との日々
一条天皇は永祚2年(990)正月、11歳で元服し、同月、道隆の娘・高畑充希が演じる定子が入内して、翌月に女御となった。
定子は、貞元元年(976)、あるいは貞元2年(977)に生まれたとされ、一条天皇より、4歳、もしくは3歳年上である。
定子は寵愛され、一条天皇のキサキの座を独占した。
定子に仕えたファーストサマーウイカが演じる清少納言(ドラマでは「ききょう」)の随筆『枕草子』には、二人の睦まじい様子が詳しく描かれている。
『枕草子』の記述が正しければ、一条天皇は定子と幸せな時間を過ごしていたのだろう。
だが、幸せな日々は長く続かない。
長徳元年(995)4月10日、定子の父・道隆が死去し、道隆の後任となった玉置玲央が演じる藤原道兼も同年5月8日に没した。
一条天皇は三浦翔平が演じる道隆の子・藤原伊周(定子の兄)に関白を任じることなく、道長に内覧の宣旨を下した。
これにより、政権の座には道長がついた。
翌長徳2年(996)には、伊周とその弟・竜星涼が演じる藤原隆家が花山上皇を射掛けるという大事件を起こした(長徳の変)。伊周と隆家は配流となり、定子は髪を切り落としてしまう(『栄花物語』巻第五「浦々の別」)。
懐妊中であった定子は、長徳の変後、内裏を出た。その後、定子は京内の邸宅と、内裏の左隣に位置する職御曹司を行き来しながら暮らすことになる(服藤早苗 東海林亜矢子『紫式部を創った王朝人たち――家族、主・同僚、ライバル』 西野悠紀子「第七章 一条天皇 ――王朝文化全盛期をきずいた天皇」)。