寵愛したのは定子だけではなかった?

 定子の後見の没落を受け、有力者たちは一条天皇の後宮に娘たちを送り込んでくるようになった。

 長徳2年(996)7月20日、米村拓彰が演じる藤原公季(兼家の異母弟)の娘・藤原義子が入内し、8月9日、女御とされた。一条天皇より6歳年上で、このとき23歳だった。

 義子が一条天皇の子を宿した形跡は、見られないという(倉本一宏『人物叢書 一条天皇』)。

 11月14日には、宮川一朗太が演じる右大臣藤原顕光の娘・藤原元子が入内し、12月2日に女御となった。このとき元子は、18歳くらいであったと推測されている(角田文衞『承香殿の女御』)。

 一条天皇はこの元子を寵愛し、元子はのちに懐妊することになる。

 長徳4年(998)2月11日には、故藤原道兼の娘・藤原尊子が、15歳で入内する。尊子の生母で、一条天皇の乳母である山田キヌヲが演じる藤原繁子の願いによる入内であったという(角田文衞『承香殿の女御』)。

 尊子は長保2年(1000)に女御となっているが、一条天皇の寵愛を受けてはいないようである。

 一方、定子は長徳2年(996)12月16日、一条天皇の第一子となる脩子内親王を出産した。

 翌長徳3年(997)6月には、定子は一条天皇や周囲の者から促され、脩子とともに、職曹司に入った。

 その後も、一条天皇は定子を寵愛し続け、定子は再び、懐妊する。

 元子への寵愛も止むことはなく、元子もまた、一条の子を宿した。

 しかし、元子は翌長徳4年(998)6月に破水してしまい、一条天皇の子を産むことはなかった(『栄花物語』巻第五「浦々の別」)。