文=鷹橋 忍 写真=フォトライブラリー

 6月に入り、大河ドラマ『光る君へ』も、もうすぐ前半が終わる。ドラマが後半に入る前に、藤原道長の後半生をご紹介したい。

五大堂 同聚院 写真=ogurisu/イメージマート

12歳の娘・彰子を入内させる

 道長は長徳元年(995)、4月に井浦新が演じる藤原道隆、5月には玉置玲央が演じる藤原道兼と、二人の兄が相次いで亡くなると、塩野瑛久が演じる一条天皇から内覧に任じられ、政権の座についた。

 同年6月には、右大臣に任じられている。

 翌長徳2年(996)、最大の政敵だった三浦翔平が演じる藤原伊周は、「長徳の変」で自滅し、道長は同年7月に左大臣に任じられた。

 長徳の変後も、一条天皇の高畑充希が演じる定子(伊周の妹)への寵愛は続いていたが、天皇の外戚となることを目指す道長は、長保元年(999)11月1日、数えで12歳の娘・見上愛が演じる彰子(母は黒木華が演じる源倫子)を入内させた。6日後の11月7日、彰子に女御宣旨が下されたが、同日、定子が一条天皇の第一皇子となる敦康親王を出産している。

 幼い彰子はまだ一条天皇の寵愛の対象とならなかったが、道長は、彰子を立后させ、定子を「皇后」、彰子を「中宮」とする、史上初の「一帝二后」(一人の天皇に、二人の正妻)を一条天皇に迫り、長保2年(1000)2月に決行した。

 だが、同年12月、定子は第三子となる皇女・媄子を出産した翌日にこの世を去ったため、一帝二后は10ヶ月で終わりを告げた。

 

待望の皇子誕生と一条天皇の死

 定子が亡くなっても、彰子になかなか懐妊の兆しが現われず、道長は気をもんだ。

 しかし、入内から9年後の寛弘5年(1008)9月、21歳となった彰子は、ようやく道長待望の皇子を出産した。一条天皇の第二皇子となる敦成(のちの後一条天皇)だ。道長が、43歳のときのことである。

 彰子は翌寛弘6年(1009)11月25日にも、第三皇子となる敦良(のちの後朱雀天皇)を産んでいる。

 寛弘8年(1011)5月、一条天皇は病に倒れた。同年6月13日には、皇太子の居貞親王に譲位する。木村達成が演じる、三条天皇の誕生である。

 皇太子は、一条は定子の忘れ形見である敦康親王を、道長は孫である敦成親王を、それぞれ望んでいた。

 しかし、一条は渡辺大知が演じる藤原行成の説得をうけ、敦成親王を皇太子とすることを承諾。こうして、敦成親王は皇太子となった。